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魍魎拳

漫画の感想の置き場

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『逆襲のロボとーちゃん』から『五大湖フルバースト』へ



5月頭のゴールデンウィーク中に映画『クレヨンしんちゃん ガチンコ!逆襲のロボとーちゃん』を観ました。9割9分親子連れのなか、一人で観るのはなかなか恥ずかしかったんですが、映画がとても面白かったのですぐにそんなことは気にならなくなりました。映画の内容は、家庭内での権威を失った日本の父親たちの悲哀を嘆く闇組織とか、そんな敵を乗り越える家族愛とか劇場版らしいテーマに加えて、ロボットになってしまったとーちゃんの人格は本物か偽物かみたいなSFの恐ろしさの要素もあって、すげぇ面白かったです。


で、しんちゃんの映画の面白さは置いといて、この映画を見て私が思い出した漫画があるんです。



それは西野マルタ先生の『五大湖フルバースト』です。


 


 


どんな話か大雑把に説明すると

近未来アメリカ・デトロイトでは自動車産業が衰退し、はるか日本から伝来した相撲がアメリカ国技として定着するほどに発展していました。



「技の横綱」と呼ばれ200連勝の偉業を達成するなど稀代の名力士として名をはせていた五大湖は突如謎の病に身を侵され、現役引退を余儀なくされます。



枯れ木のような肉体になりながらも土俵・勝利への執念が捨てきれない五大湖は、どこからともなく現れた謎の科学者ドクター・グラマラスの甘言に乗り、


 



ロボットになってしまう、という話です。


金属の塊と化しながらも現役復帰を果たしたメカ五大湖はトランスフォーム、ミサイル一斉掃射など独自の相撲スタイルで他の力士を圧倒します。技の横綱としての技術も、最大の極め手「デトロイトスペシャル」もすべてを忘れて、人間性すら失って殺戮マシーンとなり下がった五大湖に周囲の人間は失望します。


 


五大湖が作り上げてきた「技の横綱」というブランドが汚されてしまうと恐怖した協会理事長は、はるか200年前に日本から古文書と三種の神器とともに伝来し、地下に石像となって眠る「伝説の横綱」を復活させ五大湖をコテンパンにやっつけてもらうことで、醜い姿に成り果てた五大湖の最後を救うことができると考えます。


 


かくしてロボットに変身した元・技の横綱と、石像から奇跡の復活を果たした伝説の横綱の大一番が始まる、というこんなあらすじです。


 


まぁそんな突っ込みどころがデカすぎてむしろ認識できないほどぶっ飛んだ設定で、面白い漫画なんですが


 


そんな変態相撲要素とは別にこの漫画にはちゃんと、というかしっかりとヒューマンドラマの要素も入っているのですよ。


 


五大湖にはクリスという一人息子がいて、妻は交通事故で亡くなっています。


五大湖は妻が交通事故にあった時も、妻の命日にしてクリスの誕生日でもある日にも、どんなことがあっても土俵を空けることをせずに戦い続け、家庭を全く顧みない男でした。息子のクリスも、母の死に目にすら顔を見せなかった五大湖を恨んでおり、母の死後、雄々しい父へのあてつけのように指をしゃぶる仕草をして無言の抗議をするようになります。


 


でもそんなクリスが父のことを本当に嫌っているかというとそれは微妙で


 


ロボットになってまで土俵に上がろうとする父、横綱としての技を何もかも忘れてしまい伝説の横綱を前になすすべなくサンドバッグになっている父を見て、クリスは血が出るほど強く指を噛み、ついには逃げ出そうとします。


 


クリスが走り去る姿を見たメカ五大湖、息子に対して愛情を注ぐことができなかったことを心の奥で悔やんでいた五大湖のわずかな記憶が電子頭脳を刺激して、五大湖は人間性を取り戻します。


 



良いシーンですね


 


人間としての記憶とともに技の横綱としての技術も取り戻した五大湖は形勢をたて直し、伝説の横綱と大相撲を展開しますが、やはり伝説の横綱は強く土俵際いっぱいによられてしまい、五大湖はそこで敗北を受け入れます。負けることで横綱五大湖としての肩書を捨て、クリスのために愛を注ぐ父親として生きようと、クリスと父と読んでもらうために頑張ろうと心に決めるのですが


 




クリスは五大湖に父親としての五大湖ではなく、横綱としての五大湖の生きざまを求めます。


 


 


父になる気持ちでいた五大湖は一瞬絶望し、全てを悟ったように高笑いをしたのちに横綱としての五大湖の相撲魂を取り戻します。そして伝説の横綱との戦いは最高潮へと向かっていきます。


 






殺戮マシーンとなり下がった五大湖が息子への愛情をきっかけに人間性を取り戻し、そのまま父として家族の絆を取り戻すのかと思えば、ここで一気に父としての感情を捨て、ロボになる前の強烈な勝利への執念を持った横綱五大湖が戻ってくる。


そして試合の後にはまた五大湖が父としてクリスに深い愛情を示すシーンがあって、このゆさぶりが本当にたまらないなぁと感じるんですね。


 






で、しんちゃんの映画からなんでこの漫画を連想したかっていうと、まずとーちゃんがロボットになるって展開もあるんですが



人外であるがゆえに明確に父的な存在になろうとするロボット父ちゃんに対して、息子が求めるものは父としての愛情行為などではなく、父が演じてきた役割でありその人生であり、その微妙なずれがロボ父の心を傷つけてしまったり息子が困惑してしまったりするってところが、なんかいいなぁと感じていて




男の子供は、そんなに父親に対して愛情を求めてないんじゃないかとか思ったりしたんですよ


 


個人的なことなんですが、私の父はめちゃくちゃな頑固者で沸点が低くて、私も子供のころから罵声怒声ビンタなどを浴びていたのですが、いまさら父との間に愛ある関係など求めていないし、父に変わってほしいと思ってないんですよね。父はもうそういう人間として出来上がっているので、もし仲良くやっていきたいのなら私がうまいこと父とのいさかいを回避するような生き方をしなくてはならんなとか思ってます。



なので『五大湖フルバースト』のクリスの気持ちが少しわかるような気がしていて、『逆襲のロボとーちゃん』で献身的に家族に尽くそうとするロボとーちゃんに対してしんのすけ達が感じた違和感というのも、なんか想像ではありますがわかる気がするんす。


ちょっとフィクション作品のなかの父子関係の描写についても書きたくなってきたので、②に続きます。




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