漫画の感想の置き場
私の父親は先述の通り非常に攻撃的な性格で、鬼か蜂かと思うほど気が短く沸点が低いので、幼いころから怒鳴られひっぱたかれしていた私にとってとても接しにくい存在です。塾の講師である父のもとで毎日勉強をさせられ、宿題を忘れるたびに職員室へ引きずりこまれて小一時間折檻くらっていたんですが、私はすぐに怒る父のことをひどく恐れて大嫌いになり、ちょっと反抗心も混ざってきて、宿題を一切やらない子に育ちました。父の方も、私が全く父になついていないことを自覚しているそうでしょっちゅう母親に私のことで愚痴を言ってるとか
そんな感じで私の父子関係はとても希薄で、クレヨンしんちゃんの野原一家のような仲の良さは素敵だと思う一方、全く共感はできない。
『五大湖フルバースト』のような父子関係はすごくしっくりくるんだけど『クレヨンしんちゃん』の野原父子はちょっと非現実的に見えてしまう。
きっと最近の家庭の父子関係というものも、前時代的な『サザエさん』系から『クレヨンしんちゃん』の方に移行していて、父親は優しく家族思いで頼りになる存在でありながらも、日常的には母親と対等かやや尻に敷かれるぐらいの力関係で子供との距離が近いところにいるんだと思うんす。
そして当然最近の漫画にはそういう優しい父子関係が描かれるわけで、それが私には共感として受け入れることができないし、私の中の現実とかけ離れすぎていて理想の父子関係として夢想することもできない。どっちが良い関係なのかも、まぁよくわからないんです。
漫画の登場人物でいえば、私の中の父親像は手塚治虫のヒゲオヤジが近いかなぁなんて思います。『やけっぱちのマリア』ではダッチワイフに傾倒する息子の将来を案ずる父として、『ブラックジャック』では過激派組織の一員としてブラックジャックを敵視する少年の父として、ヒゲオヤジは堅物で子供のいうことを理解できず折檻によって叩き直そうとする頑固おやじの役を演じていて、その役柄が私の父親にかなり近い感じがしています。
しかし今連載しているような漫画を読んでいると前時代的な父子関係のある作品になかなか出会うことはなくて、私が父と上手くやっていくうえでのヒントをくれそうな漫画なんてなかなか見つからない。自分の本棚を改めてみてみれば、やはり父子の関係は現代的なものが多く、自分の家と似ているものを探せばそれは歴史ものだったりファンタジー的な血族の争いの話だったりで、今もなお残る前時代的父子関係が描かれた漫画ってすげぇ少ないなーて感じてます。
ヒゲオヤジが演じた上記の二つの父親の役、『やけっぱちのマリア』では最後まで息子と和解することはなく半ば決裂気味に話が終わっていて、『ブラックジャック』の方では父が息子の身代わりになって死んでしまい、父の肉体の一部を移植して助かった息子が感謝し涙するみたいな結末で、どちらもすごくいい話で好きなんですが、私が父と上手くやっていくうえで活用できる方法ではありません。
前時代的な父子関係にある子供が、精神的に覆いかぶさってくる父という壁というかコンプレックスのようなものを精神的に乗り越えていくような話があればいいなと思うんですね。
遠藤浩輝先生の短編集にある『きっとかわいい女の子だから』の主人公、娘が父に対して抱いている嫌悪感とか、父親より自分の方が利口だと思いたい、利口さを見せつけたくなる思春期感とかすごいグッとくるんですが、この娘最終的に父親とその再婚相手に肉体的な暴力を振るってしまうので、それはちょっとよろしくないなぁと思うんです。
私は別に父親を殺したいわけではなく、何とかうまくやっていきたいだけなので、参考にはできないです。父子関係という目線で見なければ、利口になりきれず結局暴力に走ってしまう子供っぽさとか、そういう思春期の不完全さがえげつない描かれ方してて、すごく好きな作品ではあります。
今少年チャンピオンでやってる『バチバチBURST』(『バチバチ』(全16巻)の続編)がすごく好きなんですが、この漫画の主人公・鯉太郎とそのライバル・王虎の両名の父親がなかなかにアレな父親で、その両家の父子関係がすごく好きなんですよね。
期せずして、また相撲漫画です。
かつて横綱の実力があると言われながら運命の試合直前に暴力事件を起こし角界を追われ、自堕落な生活の末に泥酔しトレーラーに突っ込んで死んだ伝説の暴れん坊力士・火竜。父が残した汚名にさらされ幼少期からすさまじい怒りの感情を周りにぶつけ、不良少年に育ってしまった火竜の息子・鮫島鯉太郎。『バチバチ』は自分の人生を狂わせた相撲への怒りと、その屈強な身体能力を買われ相撲部屋に勧誘された鯉太郎が、父さながらのぶちかまし相撲で成り上がっていくという、チャンピオン的相撲漫画です。
主人公の鯉太郎と亡き父・火竜の関係性はちょっと変わっていて
火竜の生前、全盛期の時代を見ていた鯉太郎は父を心の底から尊敬していて、周囲にも父は神になる男だと触れ回っていたほどでした。
しかし暴力事件の後、酒におぼれ落ちぶれていく父に対して鯉太郎は激怒し、父親にぶちかまし勝負を挑みます。当然鯉太郎がかなうわけもなく吹き飛ばされてしまうのですが、弱い自分が今の父の汚名を晴らすことはできないと悟って悔し涙を流します。
火竜の死後、鯉太郎は毎日庭の木に向かってぶちかましの練習をしたり相撲への執念を見せ、父が自分に臨んだ相撲界での成功を果たしてやろうとするんですが、相撲界に入る前と後では鯉太郎の父に対する気持ちが少し変化しているんですよね。
相撲界へ入るきっかけは父の無念と、父を追いやった社会への怒りであることは間違いないのですが、その後の鯉太郎の相撲界での活躍、戦いへのモチベーションは全て自分の中から生まれてくる闘争心によるものであって、父の無念を晴らすという意識は薄れていっています。鯉太郎は物語序盤、相撲界に入った時点から晩年の父に対するうっぷんを解消していて、そのあとは全て父とのしがらみを断ち切った鯉太郎の自分のための戦いって感じになるんす。
鯉太郎の父への怒りや葛藤は、自分が相撲界に入ることで解消され、まあ火竜はすでに死んではいるものの非常にすっきりとした父子関係に落ち着きます。
この鯉太郎の父に対する心の持ちようもスカッとしてて好きなんですが、それ以上に私はこの『バチバチ』の中で好きな父子キャラクターがいて、彼らの関係性を見届けたいがために読んでいる感もあります。
鯉太郎の最大のライバルとして王虎ってキャラクターがいるんですが、こいつは鮫島家とは全く逆の父子関係のもとで育っていて、また相撲に対する意気込みも鯉太郎とは真逆です。
そしてこいつの父との関係性が、なかなかに生々しく人間味に溢れていてすごく好きなんす。
このにやにやしている変眉が王虎です。
王虎の父・虎城は現役時代横綱として25回の優勝を記録した伝説の力士なのですが、一度の優勝を経験してからは横綱の席を守ることや周囲からの期待の重圧に苦しみ、家庭内では非常に弱い姿をさらすようになります。王虎はそんな父の姿を見てみじめだと蔑み、自分は父とは違う確実で絶対の勝利をキープする横綱になってやろうと心に決め、普段の鍛錬の中で相撲部屋の後輩力士を人心操作して、裏工作から八百長まで何でもする、狡猾な力士になります。そこに父への尊敬の念は一ミリもなく、スタートの時点から彼は父を精神的に追い抜いているといえます。
敗北に怯える当時の虎城の姿は、幼い王虎の目に偽物として映ります。
父の虎城はそんな王虎のどす黒い心中を読み切ることができず恐怖し、王虎はそんな父の権力から火竜との因縁関係まですべてを利用して、鯉太郎を社会的に完膚無きに叩き潰してしまうと企てます。
しかし鯉太郎と王虎の初対決、前評判では王虎圧倒的優勢と言われていながら、鯉太郎は奇跡的な勝利を挙げます。
絶対の自信を持っていた王虎は、人生で初の敗北を、相撲を初めて一年かそこらの鯉太郎に喫します。
鮫島鯉太郎と火竜、そして鮫島親子を恐れる父・虎城を二流の力士として見下していた王虎は、父・虎城と同様に鯉太郎に恐怖を感じている自分に気づき自尊心をズタズタにやられてしまいます。
ここで王虎は精神的に見下していたはずの父・虎城と同等の立場に引きずりおろされます。
鯉太郎との試合の後数か月間、王虎は自分の敗北を認めることができず部屋に引きこもって狂人のようになってしまいます。
しかし先輩力士からケンカを売られたり、鯉太郎に対する凄まじい怒りと傷ついた自尊心の反発を受けて、より残忍により甘えのない取組をする冷酷な力士として、王虎は復活します。
その取組にはかつてのようなマスコミ向けの派手なパフォーマンスもなく、幼いころに見た父のみじめな姿と自分の敗北が重なって、反面教師的に父とは違う絶対的な存在へと自分を高めていきます。
キン肉マンに敗けた後のロビンマスクみたいな感じですね。
しかしいくら冷酷に強くなったと言っても自分を脅かす強力な力士はたくさんいて、父のような敗北に怯える人間にならぬよう、父より高い存在になるために、父の姿と結びついた敗北の恐怖を改めて乗り越えようとあがきます。
最近の話では王虎が幼いころから周囲の期待を一身に受け、父のなした偉業と同等のものを求められる重圧に苦しむ心中が描かれたシーンもあったりで、復活してなお王虎の精神に絶対の自信が戻ってはいないこと、見下していたはずの父の存在が再び重荷になってのしかかってきていることがわかります。
王虎は相撲で勝ったときにのみ父を超えることができ、負けてしまえば一気にその優位性は崩れてしまう、とても危うい精神構造をしています。
鯉太郎を含む周囲の力士に対する敵意と、勝利への執着、裏を返せば敗北への恐怖に追い立てられ、父すら味方に取れない孤独な戦いを強いられているんですね。
父を蔑み陥れ自分を高めるという方法で精神的に父の壁を乗り越えることは、父の存在が自分にとって大きければ大きいほど難しいのだなぁなどと感じます。
鯉太郎は父の無念を胸に相撲界入りしましたが、その時点で父とのしがらみは精神的に乗り越えており、なんの肩書もなく裸一貫、鮫島鯉太郎という一人の人間として戦っています。
一方で王虎は、始まりの時点では父を半ば蔑んでいて度外視しているものの、一度の敗北を経験してから自分は父のようになってはならないという意識を持つようになり、しがらみの中で戦っていきます。取組中に形勢が悪くなると、焦燥感に駆られ強引な極め投げを押し切ろうとして相手の体を壊しかねないような、危険な相撲を取るようになります。
どっちが良いとは言えませんが、彼らは二人とも、幼いころに感じた父への反抗心が独自の形で自身の相撲スタイルに反映されていて、反面教師として父を利用している節がある。両者の父親もまた非常に前時代的な父親であって、息子に尊敬に値しない姿を見せつけ期待や怒りを押し付けているのだけれど、息子がそれをはねのけながら親を超えようとするさまが非常に力強く、憧れます。
長々と書いたわりに自分が父親とどう付き合っていくのか解決策は見えてきていなかったりするのですが、私はこういう前時代的な父親に対抗する息子たちの話を見ると共感したり人一倍感動したりするのだと、ただそれを言いたいがための記事です。
現代的な気弱な父さんとか仲のいい親子ってのも読んでてすごくいい気持になって好きではあるのですが、最近こんなややこしい父子関係を描いた漫画があんまりない気がするので、もっと殺伐とした父子が出てくる漫画が増えてほしいし読みたいし、私はそれに共感したりしたいのです。
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