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魍魎拳

漫画の感想の置き場

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『花もて語れ』と感想と二次創作性①




週刊スピリッツで連載中の『花もて語れ』は朗読を題材にした漫画で小説・童話・詩・随筆など様々な文章を声に発して読むことの面白さ、声に出して初めてわかる奥深さを描いた物語で、すげぇ面白いんですね。連載は最終章の終盤を迎えていてラスト9話で完結するとか


 


 


てきとうにあらすじを説明すると


主人公の佐倉ハナは幼いころに事故で両親を亡くし、田舎に住む叔母のもとで育てられました。しかし両親を失った悲しみと慣れない方言に戸惑い重い人見知りを患って、学校でも同級生と全く話せず孤立してしまいます。クラスの学芸会でナレーションの役をやらされることとなった花は、新しく赴任した教育実習生の折口柊二に朗読の才能を見出され、題材「ブレーメンの音楽隊」を熱演し大成功を収める。この経験を糧に、ハナは自身の弱い性格変えていく活路として、朗読の道を歩んでいくこととなる、的な話ですね。


 


 


この漫画の好きなところは、朗読の題材となっている作品が読み手となるキャラクターの人生経験に基づいて独自に解釈され、読み手の人生観を混ぜた二次創作的なメッセージとして聞き手・読者へと訴えかけてくるところです。作中ではそれを「再表現アート」と銘打っています。


 


 


例えばハナが初めて朗読に挑戦した作品「ブレーメンの音楽隊」


おそらく私が初めてこの物語に触れたのは小学校の頃ぐらいだと思うのですが、『花もて語れ』を読む前に「ブレーメンの音楽隊」について抱いていた印象は、犬や鶏やら家畜やらが団結して人間の猟師たちを脅かす、昔ながらの荒唐無稽な下克上ギャグって感じでした。しかし、同じく小学生のハナが自分の人生に照らし合わせて、独自に解釈をした上で読み上げた「ブレーメンの音楽隊」は、全く別の印象として私に襲いかかってきました。


 




そもそも「ブレーメンの音楽隊」に登場する動物たちは、家畜・ペットとしての価値を無くして人間から見放された生き物たちであり、その設定は両親を亡くして一人取り残されたハナの幼い心にぐさりと刺さります。そしてハナの才能とはまさに、自身の受けた感情の傷をそのまま声に乗せて発することができることにあるのです。


 


 


私が原作を読んだとき、動物たちのセリフにこのような印象は受けなかった。何不自由なく親の庇護のもと育っている私には、動物隊の悲哀を見出すことはできませんでした。ハナの人生経験があってこそ可能な分析であり、真に感情を込めることのできる読み方なのです。動物たちの悲哀に寄り添って読まれたナレーションは、ハナの小学校がある田舎の山村において、また別の視点の共感を生みます。



 



過疎で田舎に取り残された老人たちの心に、両親に遺されたハナの孤独を乗せた朗読はぐさりと刺さります。

ハナに朗読の手ほどきをしてくれる朗読教室の先生・藤色きなり先生は次のように述べています。


 


 


 またハナの別の朗読を聞いた藤色先生は


 朗読の表現には読み手自身の人生経験に裏打ちされた「芯」というものがあり、ハナにはそれを素で実行する才能があると言っています。


 ハナの心には遺児としての孤独や、自分を支えてくれている人間に対する感謝の念が強く根付いていて、彼女の朗読には常にその感情が現れていきます。それは原作の持つ本来のメッセージ性に加えて、それを読んだハナの人生経験に裏打ちされたメッセージと、二つの要素がミックスされた全く別の再表現アートであり、読書とはまた異質な説得力を持つ表現方法なんですね。




またもうひとつ良いなと思ったことがあって




社会人になったハナが、最愛の妹を失って五年間引きこもっている取引先の社長令嬢・満里子の前で、宮沢賢治の『やまなし』を朗読する話があるのですが


 


この満里子さんは引きこもっていた五年の間、頭の中を妹のことでいっぱいにしたいと思う一心で、妹が好きだった宮沢賢治をひたすら読みふけっていた読書家で


 


発音・発声・間のとり方、感情の込め方など、読み手独自の解釈をもとに表現する朗読というものに疑問を抱き、朗読とは解釈の正解を押し付けるものなのではないかとと疑いをかけます。
しかし、朗読的な観点とハナの独自の人生観を交えて表現された朗読を聞いて満里子さんの考えは大きく変わります。『やまなし』は幼い蟹の兄弟が生命の巨大な息吹に驚嘆し、それを父蟹が優しく説明し二人を誘っていくという話で



その物語は満里子さんに妹の死を受け入れる勇気を与え
妹を亡くし5年間引き込もっていた満里子さんを何とか元気づけてやろうと頑張っていた父親のことを認め、満里子さんは外に出ることを決意します。



満里子さんを元気づけようといろんな手を尽くして話しかけるも報われない父親の気疲れを表したこのページ、何回読んでも辛くて、本当に満里子さんが悲しみを克服できてよかったなぁと思います。


 


外に出れるようになった満里子さんはこのあと、ハナと同じ藤色朗読教室に通いその世界に入り込んでいきます。彼女の朗読は読書家としての緻密さ、恵まれた環境に生まれながら自分の生き方が見つからないお嬢様としての苦悩や、妹を失った悲しみ、自分を見放すことなく接し続けてくれた父親への感謝の念に彩られていて、ハナとは似ているようで少し違う魅力を出すようになります。


 


 


藤色先生と満里子さんの二人の発言を合わせると「基となる作品をもとに人生観を語ることは何か読み方の正解を押し付けるような行為ではなく、その一つ一つが作品として独立た存在である」ってことで、それは読み手によって作品と呼べるまでに高められたものであり、その面白さはクラシックと同様に読み手の工夫に依拠する者であると




ブログとか漫画を読んだ感想についても、それは適用されるのではないかなと思っています。

私の力不足で詰まらない感想しか書けなくてもそれは基となる作品がつまらないせいではないし、たとえ世間的にはつまらないと思われている作品であっても私が面白い感想を作り出すことができれば、作品への悪口・批判を投げかけられることはない。

私が書いた感想に関する出来栄えというかエンターテイメント性っていうのは私のみに帰依するものであって、たとえ私が書いた感想がつまらなくても、原作がつまらないということではないといえること、表現の責任が分離しているってことがなんというかわたし的にすごくありがたいことで、救われるんですよね。作品への感想は二次創作的な存在であって、感想に対する評価は作品とは別個に行われるべきだと


 


他にもなどの作品を取り上げていて、朗読の面白さ、原作そのものの魅力ともども紹介されています。


斉藤隆介『花さき山』



芥川龍之介『トロッコ』



太宰治『黄金風景』



宮沢賢治『おきなぐさ』



火野葦平『皿』



その一つ一つに、『花もて語れ』の登場人物の悩みや精神の行き詰まりがリンクして描かれていて、自分には思いつかない文学作品の楽しみ方を登場人物ごとの異なる人生経験を通して提示してくれるような、本当に読んでて面白い漫画だと思います。


あと数羽で完結してしまう『花もて語れ』、話数的に今回の『瓶詰地獄』で朗読が最後になってしまうのではないかと思うのですが、私はまだまだ彼らの人生観を織り交ぜた朗読を見てみたいしもっと長くこの作品を読んでいたい。しかし終わってしまうものはしょうがない、再表現アートについていろいろ教えてくれたこの作品を最後までしっかりと追い続けていきたいと思います。


後篇に続きますが、私のブログに関する反省とかをうだうだ書いてるだけです。
特に『PACT』について、後々思ったことを書きます。






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