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魍魎拳

漫画の感想の置き場

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婆婆


爺好きは世の中かなり多いように思う。政界や企業の経営陣、町工場の職人など年季がかった熟練の老士、彼らに深みを感じることは年を重ねた人間であれば容易であろう。

フィクションにおいても爺が主要な役回りを担うことが多く、私たちは常日頃魅力的な爺に触れる機会を十二分に与えられている。


一方、婆はどうか。
ババアが好きな人はどれぐらいいるのだろうか。年増に対する蔑称ではなく、喜寿クラスのネオシワクチャババア、老婆に人間的な魅力を感じている人はどれだけいるのだろう。

ノンフィクションの現実世界において婆がピックアップされることはあまりないし、人が婆の良いところを見つけるための機会は非常に少ないのではないかと思う。


しかし私は婆が好きだ。
正確には、婆の持つ生活・知恵
・正論・不条理の要素が好きだ。
そして、それらを全て足し合わせた結果生まれる「老婆心」という精神に、えもいわれぬ魅力を感じるのだ。

なので良い婆が登場するフィクション作品に出会えることを強く望んでいるし、見つけると食い入るように取り組む。幸い漫画には婆がよく出るので、私の欲求はある程度満たされているのだ。


婆の魅力は爺に負けず劣らぬはずだと思っている。



「生活」
数十年一家の家事を切り盛りし家計のやりくりに脳髄を絞り上げてきた婆は、生活力の塊である。

三浦靖冬「薄花少女」

最近流行りの若返り幼婆。
80歳の使用人が、なぜか幼女の姿になってぼっちゃまのもとにやって来る話。


私は婆の臭いを感じない属性としての「ロリババア」は苦手だが、婆の年季の高みを持つ幼婆は好きだ。
外見をマイルドにすることで婆の魅力がよりダイレクトに伝わるからだ。

手原和憲「ミル」

実家の老猫(16歳の時に猫叉となり、実際は86歳)が人間の姿になって飼い主のもとにやって来る話。猫叉になった時点での年齢が外見に対応するため、見た目16歳の婆。
猫と老婆という、わたしにとっては最強の組み合わせだ。


「知恵」
爺婆共通の要素、年の数だけの知識を持ち生き字引として次世代に情報を口伝する。部分的な情報強者である。生で体験したことだけを知識として沈殿させた特濃知識風呂だ。
西原理恵子「ぼくんち」





「正論」
倫理・人道に反する行為を嫌い、他人に対しても何よりも真っ当であることを強要する。正論ゆえに反論しようがない面倒さがある。
新井英樹「愛しのアイリーン」

40歳独身息子にお見合いさせようと必死。岩男はこの後婆の声を無視してフィリピン娘と結婚する。


「不条理」
正論を語る一方で、自分にとって都合の悪い正義は堂々と無視する。清濁併せ持つというより、自己矛盾に開き直ることのできるタフな精神を持っている。
土山しげる「極道めし」


暴力団のヒットマンとしての仕事に失敗し逃亡の末実家にたどり着いた息子に、なにも言わず飯を振る舞う婆、追いかけてきた刑事に対して啖呵を切る。


後ろ二つはマイナス要素であるようにも思えるが婆になくてはならないもの、若年層を叱責する能力を表すものだ。

ウン十年の歳月を経て凝り固まった持論が、人を叱りつけるための地盤となって全く揺るがない。
その腰の強さも老婆の魅力の一つだと思うのだ。


ーーーーーーーーーーーーーーーー


私は母性神話を礼賛するわけではないが、「老婆心」なるものは確実に存在するしいかなる糞ババアにも内在すると信じている。慈愛の発展形だ。


母性は老婆心の前段階であり、他へ働きかける力は老婆心の方が強く、母性→老婆心と進化した精神は最終的に神の無差別愛の段階に到達する。
母→婆→神である。
GodmotherがGodになる。


遠藤浩輝「EDEN」という漫画はまさにその例である。



(以下ネタバレあり)
この漫画には見た目12~3歳の機械の体に脳を移植した、かつて8人の子を産んでは捨てヤッては捨ててきた41歳の糞ビッチが登場する。

彼女は身体の感覚を自分のものとして認識できない性質で、当然自分の子供に一切の愛着を持つことができず、生後すぐの赤子をナイフで切りつけるなど非人道的な精神を持っていた。

が、機械の体に移ってからは感覚や感情というものに興味を抱き始め、母性に似た感情を他人に向けるようになる。


そしてラストには、人類全体の憎悪や苦痛を底無しの愛で受け止めて別宇宙へと導く、女神としての役割を担うことになる。




神に近い精神を持つ老婆が若い肉体を持って現れる、最近流行りのロリババアとは、神話の疑似体験に近いのかもしれない。
妖怪や土地神を題材にした古典的なフィクションでは、神が若い肉体を持った人間の姿で現れることが多い。

何でもかんでも古典にルーツを求めることをよしとするわけではないのだが、作り手の創作意欲や読み手の欲求には、新旧通じるものがあるのではないかと感じる。

そして婆には神に近い精神が備わっていて、そこに魅力を感じる人間が少なからず存在することがわかる。

それでも婆はそのままの姿では主人公にはなれない。若返りという闇ルートを通過したものだけがその特権階級に進むことができる。
これでは婆好きはなかなか育成されないし、ロリコンばかりが増えていくかもしれない。


若い肉体だけでなく
もっと婆を
婆に光を

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