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魍魎拳

漫画の感想の置き場

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『何もないけど空は青い』をやや大げさに読んでいます




 


崩壊した世界の中で生き延びるという物語は良くありますが、その主人公が闘争に肯定的であるかどうかという点は、物語の質を大きく分ける分水嶺であると思います。


 


 


少ない生活物資を確保するため積極的に戦う主人公であれば、『砂ぼうず』のように強いものが正義という価値観が作品の路線として、他の登場人物にも共有されていきます。


 


ジョージ秋山先生の『アシュラ』はその極端な例です。干ばつと飢餓という極限状況下で人間の尊厳や倫理観が崩れ落ちる瞬間をがっつりねっとりと描いていて、倫理観の曖昧な私のショボイ心臓をえぐり取っていきました。




 
つれえよな生きていくのがよ!


これらの作品にははっきりと、倫理道徳の精神が生きる上で邪魔になることが示されています。優先順位はあくまで生存が第一位、精神の充足は二の次です。


 


 






一方闘争に対して主人公が消極的であると、闘争は生きる術というよりも原始的な悪手として描かれ、人間の尊厳や倫理道徳を捨てる人間を批判的に捉え、いかに闘争を避け文化人としての精神を保ちながら生き抜くかというテーマが掲げられるようになります。生き延び、かつ倫理道徳の精神を保つことが漫画の至上命題となります。


 


 


『何もないけど空は青い』は『今日から俺は!』や『鋼鉄の華っ柱』の西森博之先生が原作を務め、『いつわりびと空』の飯沼ゆうき先生が作画を担当するSF漫画で、隕石がまき散らした謎のバクテリアによって世界中の鉄が腐食し、文明社会が一気に機能不全に陥るという話です。


 


鉄で動くインフラは全て止まり、残された少ない資源をめぐって人間たちが争い、無政府状態となった日本の地方都市で主人公の仁吉くんとヒロインの華羅さんが頑張って生きていくのですが、彼らの掲げる倫理観がとても不安定でいつ崩れてもおかしくない危険なバランスにある感じが、私の心をざわつかせています。


 


 


大規模な自然災害・人災によって人間社会が機能を停止して、極限状態で人間の本性があらわになるって流れは、フィクションパニック物の常道です。火事場泥棒や強姦、暴力や組織力で弱者を駆逐する者が現れ弱肉強食な動物社会にまで退化した環境のもと、主人公たちがいかに正気を保って度重なる危機を潜り抜けていくか。生きるということと、倫理観を守ることとを同価値に捉えて、いかに二兎を追い二兎を得るかがパニック漫画の主人公の腕の見せ所です。


 


 


『何もないけど空は青い』の仁吉くんと華羅さんも見ず知らずの少女を引き取ってしまったり、頑張って確保した食料をやつれた親子にあげちゃったり、パニックにおいてもしっかり人間する道を選択していきます。ただ、彼らは殺伐とした生存競争の中で、対峙する相手によって厳しさと優しさをはっきりと使い分けていて、特に第三のキャラ風斗くんの登場以降暴力沙汰が増えるにしたがって、彼らの選択には暴力に頼るケースが増えていきます。


 


倫理道徳は彼らのいる終末世界においては価値が低くて、生存確率を下げかねない非常に危険な思想です。「人を傷つけては(殺しては)いけない」とか「盗みを働いてはいけない」とか、少ない物資を奪い合って生きていかなければならない環境では四の五の言ってられない、生きるために必要不可欠な考え方であるとは思えません。むしろそれを守り続けることは精神の枷となって、生への欲求と人間の尊厳にはさまれて辛さを増していくだけでしょう。その世界が無政府状態のパニック世界である限り、倫理道徳の持つ価値はどこまでも下がり続け、維持するモチベーションも落ちていくでしょう。


 


仁吉くんたちもそのことを空腹と暴徒との戦いを通じて身をもって感じているはずですし、悪者に対して受動的ではありますが、暴力を発動します。しかし善人には協調性と慈悲の心を示し、『北斗の拳』のトキ・シュウ・フドウスタイルで自分たちの生命と人間性をギリギリのラインで守っていきます。


 


今のところ仁吉くん達は倫理道徳を捨てることなく、自分たちの意志で社会的な人間として生きることに成功しています。しかしこのスタイルは北斗神拳南斗聖拳を極めた猛者だからこそ維持できるのであって、剣道部のエースとはいえ一介の男子高校生に過ぎない仁吉くん、一介のスーパー弓道少女に過ぎない華羅さん、金持ちんとこの不良息子の風斗くん、三歳児の玲奈ちゃんでは、微妙に力が足りない気がします。


 


その微妙に力が足りてない危険さを、この漫画はガンガンに強調して描いているように思うのですよ。


仁吉くんと真逆の選択をした人間の、堂に入った悪人っぷり。


 


迫りくる無慈悲の暴力に、慈悲の心をもったまま対抗するには、彼らの戦闘能力は少し物足りないように感じます。彼らは倫理道徳の心を維持するのに十分な武器・力を持っていない、いつその牙城が崩されてしまうかわからない不安さが、気になってしまうのです。


 


最近は仁吉くんが剣道部としての暴力を発揮する場面が増えてきているし、華羅さんもこの状況で甘っちょろいことは言っていられないとニヒルな判断を下すこともあります。しかしチームには玲奈ちゃんという非力代表的な存在がいて、すぐに外的に目をつけられ付け込まれてしまうし、彼女に何かあったりしたら仁吉くん達の道徳心も一気に崩れてしまいそうな、とにかく不安要素が多いパーティー構成です。


 


彼らが肉体的にも倫理崩壊的にも危険な目に遭わないか、それが毎週気になってしょうがなくて、何事もなく一話が終わるのを見届けて少しだけ安心する。稀に見る真剣さでこの漫画の進展に一喜一憂しています。


 


 


 





学がないので学術的な論議があったりするのかよく知らないのですが、倫理・道徳やそれに基づいた罪と罰の概念っていうのは、暴力を持たない弱い人間が暴力に蹂躙されてしまうのを防ぐため、便宜的に組み立てられた思想なのではないかと思っています。


 


誰かに殺されたくないから「人を殺してはいけない」という考えが生まれ、多くの人間がそう考えた結果暗黙のルールとして心に蓄積されていく、多くの人間が共有して同調圧力を持つようになって初めて、倫理道徳とは効果を持つものだと思うのです。社会の大半の人間が「人を殺してはいけない」と考えていれば、誰かを殺してしまった人に対しては社会全体から批判が飛んでいくだろうし、今まさに殺そうとしている人の心の中でもいつの間にか刷り込まれていた道徳心から「人を殺してはいけない」というストッパーがかかるだろうし、より多くの人間が倫理道徳の思想を共有することで、人が誰かから殺される確率は少なくなっているはずなのです。


 


本当に倫理道徳の教義は正しいのか、なぜ倫理道徳を破ったからと言って罰を受けなければいけないのか、そんな問いはどうでもよいのです。倫理道徳に謳われる教義は自分の生命を守ることに都合が良いので守っておくのが吉だと感じます。


 


日本の義務教育のカリキュラムに倫理道徳の授業が組み込まれていることを「思想の強要である」と主張している人を見たことがありますが、そういうことじゃないと思うんですよ。あれは教育を受けた児童・生徒たちがいつか罪を犯してしまいそうになった時に心のストッパーになるように、また社会が平和で協調的に回るために必要な措置であって、直接人間の利己心を抑えることができない統治サイドの苦肉の策だと思うんです。


 


統治の行き届かないパニック下で倫理道徳が守られなくなって略奪が横行したりするのも、「人を殺してはいけない」という思想が人間の本能から生まれるものではなく、状況と意思によって選択できる宗教のようなものだからなのだと思うのです。本能に背いた思想でもないのだし、生きるための合理的な手段として倫理道徳を捨てるのが悪いことであるかと言われれば、その問いこそがナンセンスであると言えてしまいそうな


 


「なぜ人を殺してはいけないのか」という問いに答えようとすると、私としてはこんな考え方に落ち着きます。


 


とはいえ、上記の発想はかなり無理をして可能な限り冷ややかに倫理道徳を見た場合の、無理にニヒルぶった状態での、私の考えです。実際には私の心のなかにもしっかりと倫理道徳の思想が根付いてしまっているので、人を殺すことが悪いことかと聞かれれば、根拠もなく悪いことであるように感じてしまいます。理由もなく人が殺されれば、殺した人を責めたくなります。さらには、倫理道徳を著しく破った人間は殺してもいいんじゃないか、みたいな都合の良い解釈さえ生まれてきます。


 


そもそも私は力が弱くて暴力を持たない人間なので、どんな世界に転ぼうが倫理道徳というファーストフード的店屋物にすがって生きていくしかないのです。


 


上記の理由で倫理道徳をちゃんと信奉できていない私が、もしパニック世界に放り込まれたらどうなるのか。きっと、微妙に盗みとか働いて罪悪感に苛まれながら自分を納得させようとシニカルになろうと悩んで、もやもやどっちつかずでいるうちにもたついて誰かに殺されたり奪われたりして死ぬんじゃないかなと思います。


 


きっとひどく迷って曖昧な尊厳だけ残した、力のない人間になってしまう。


『何もないけど空は青い』の登場人物たちがどう転ぶかふらふらしているのを見て、心をキリキリやられているのは、どんな状況でも倫理道徳・尊厳だけは守るという意志の強さが自分にはないことを、なんとなく自覚しているからなんでしょう。


 


この漫画、鉄が完全に腐食してしまった世界の話なので、元の平和な日々に戻るっていうゴールは考えられないんですよね。物質的に満ち足りた世界はもう戻ってこない、物質的な充足の上に育つ精神は次第に世界から消えていって、最終的には完全なる弱肉強食の世界になってしまうのではとか、恐ろしい想像もできてしまいます。


その希望の無さが、彼らの倫理道徳という微妙な甘さを際立たせているし、ともすれば弱肉強食的に傾いてしまう危うさにもつながっていて、西森先生も嫌な設定考えたなぁと感動しています。


 




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