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魍魎拳

漫画の感想の置き場

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岡崎二郎と異生物:『アフター0』『緑の黙示録』とか


 


岡崎二郎先生の漫画『アフター0』はオムニバス形式の
SF短編集なんですが、その中に「偉大なる眠り子」という数話にわたる続き物のシリーズがあります。


 


 


商社に勤めていた主人公は麻薬問題のトラブルに巻き込まれて事故死してしまうのだけど、この世への強い執念から新婚の妻の腹に宿った子供の精神に入り込み、精神年齢34歳の乳飲み子としてこの世に再誕してしまう、ってところから話が始まります。外見は1歳児、中身は生物・植物学に長けた聡明な企業戦士というスーパー赤ちゃんあきおが、降りかかる様々な困難を頭脳で解決する、「偉大なる眠り子」はそんな話です。


 


そんな「偉大なる眠り子」のなかで印象的だったのが、赤ちゃんの脳に関するこんな話。


 


大人に比べて脳のシナプスの数が多い赤ん坊は脳内が未整理な状態で、プリミティブな脳内回路ゆえに味覚が特別敏感にできているという。赤ん坊は味を見分ける経験を積んでいないので味の違いを意識することはなく、経験を積んで味の違いが分かるようになった頃にはシナプスは既に整理されていて、味覚は次第に成人男性のレベルに落ち着く。しかしスーパー赤ちゃんの昭夫は、34歳の人生経験を持っていながらにして赤子の敏感な味覚を持っているので、あらゆる料理の旨味を鋭く察知することができる。


 


そんな昭夫の能力に目を付けた超一流グルメさんが、この世で最もうまい料理はなんなのか昭夫の超絶味覚で選定してもらおうと招待します。世界中の一流シェフの料理を次々に試食し採点していく昭夫ですが、結局料理に順位をつけることに意味はない、強いて言えば愛情のこもった家庭料理こそが最高、という結論に落ち着きます。


 


ここまではふむふむなるほど、と落ち着いて読んでいたのですが


 


話の最後に、昭夫が個人的にこの世で一番うまいと感じる食べ物について、激白します。


 


 


母乳~!


 


私たちは既に赤子の舌を持っておらず、たとえかなり特殊な条件を乗り越えて母乳を飲むチャンスを得たとしても、ここで昭夫が言う絶妙な飲み心地を体感することはできない。


 
赤ん坊のプリミティブな脳内構造と、34年の味覚経験を持つ昭夫だからこそ楽しめる母乳の味わいということだそうです。



この「偉大なる眠り子」を読む限りでは、赤子も、すでに大人になってしまった私にとっては脳の構造も感覚も異なる、いわば異生物です。
彼らに見えている世界は、いろんな経験を積んで脳内の情報が整理された成人の私とは違っているはずで、赤子のころの記憶がない私はその感覚を共有できない。
「偉大なる眠り子」では、赤子のシナプス量の多さが引き起こす様々な特殊感覚について、視覚についても触れています。子供の時にだけあなたに訪れる不思議な出会い、的なやつです。


 

赤ん坊、やつらはひとたび目を合わせると一切視線をそらさずこちらを観察してくる、しかし何を考えてるかはさっぱりわからない、得体のしれない恐ろしい存在です。
彼ら赤ん坊は私の想像もつかない別世界をみているのではないか、彼らには、私の姿が抽象的観念的なものに見えているのではないか、そんな異生物感が赤ん坊にはあるのです。




この世界には人間以外の生物、数えきれないほどの種類の生き物が生息していますが、それらは人間とはまったく別種の異生物です。犬も虫も微生物も、宇宙のどこかに生息しているかもしれない地球外生命体も、人ならざるものです。


人間の赤ん坊ですら、感じている世界がこんなにも違う。まして人ではない生物であれば、脳や身体の構造が違うという事に加えて、意思疎通をとることができないという事であり、それは感覚や情動の体系が全く違うという可能性を示しています。 自分の飼っている犬猫でさえ、どれだけ彼らとの間に親密な関係を作っていたとしても、何を考えているのか実際のところはわかりません。飯をくれと皿をひっかく、外に出せと窓に突進する、目に見える形でアピールされた欲求は生物の共通の情動として容易に理解できますが、彼らが飼い主のいない部屋で寝転がりながら何を感じているのか、散歩の途中にふと歩くのをやめ彼方を見つめながら何を思っているのか、私にはさっぱりわかりません。


それは人間に理解できるタイプの情動なのか、人間にはおよそ想像のつかない犬ならでは、猫ならではの感覚に彼らは浸っているのではないか。これほど体の構造が違う生き物には、人間の私とは全く違う感情の体系があって、彼らはその中で全く違う世界を観ているのではないか、とかちょいちょい考えています。


 


『アフター0』に代表される岡崎二郎先生の漫画には、地球に生息する生物や物質のもつ特異な性質について科学的な説明を加え、未解明の点について筆者独自の非科学的な推測を加えていく、という話がたくさんあります。時にそれは非科学的なSFレベルの話にも発展するのですが、それが実現不可能なファンタジーとは思えない妙な説得力を持って迫ってくる、そんな面白さがあります。

幾つか私が読んだものを紹介しながら、思ったことをびやっと書いてみます。





『緑の黙示録』全1巻



 『緑の黙示録』は植物の声を聞くことができるスピリチュアル少女が、植物にまつわる奇怪な事件を解決していく話です。


 


 


 


『緑の黙示録』の一話目は、人間が植物ホルモンを使って植物に命令を下し、作為的に有害物質を分泌させることで殺人計画を完遂するという話です。これは人間から植物への一方的なコミュニケーションが可能であるということを示しています。植物は純粋であり人間の与える刺激に無邪気に反応する、自我のない生物として描かれています。無理やり人間の手で有害物質を発散させられた植物の、疲れた心をヒロインが読み取って、事件の糸口を掴み解決へと導いていきます。


 


しかし二話目以降、人間から植物への意思疎通が難しくなっていきます。植物が植物としての行動規範を持って、人間の意向に背くようになるのです。


 


 


有毒な揮発性物質を、人間への攻撃手段として垂れ流す植物。


 


 


ヒロインは植物の心を読むことができる、しかし彼女は植物との対話に失敗し、植物に殺されそうになります。植物の中の、人間を痛めつけようという強い意志に阻まれヒロインの声が届かない。植物が人間に憎悪を抱いて能動的に危害を加えようとするという、かなり非科学的な話なんですが、従順な生き物だと思っていた植物が全く人間の言うことを聞いてくれない感じ、なかなかの異生物感があって恐ろしい。


 


 


作中では植物の生物的な性質や反応については化学的な説明が加えられていて、登場人物も植物学者ばかりなのでストーリー上、植物たちがとる行為のメカニズムについては解明されます。植物にも殺人的な力があるということは、科学的事実として理解できる。


 


しかし、植物がなぜ人間を殺すような作為的な行動をとったのか、そもそも植物には感情などあるのか、『緑の黙示録』ではそのことについて一切触れられていません。「植物が人間に憎悪の念を持った」という推測が提示されるだけです。植物の心を読む少女が登場するこの漫画でも、植物が世界をどのように見ているのか、ということは解明されない。


 


我々は人間であり植物になったことはないので、永遠に植物の気持ちはわからないのです。
どれだけ親しみをもって接しても、異生物という壁は非常に厚いなと感じます。





『まるまる動物記』全2巻


 


 


『まるまる動物記』は民族説話に登場する伝説上の動物の由来とか、人間が肉体的に弱い動物に進化した理由とか、とにかく生物にまつわる面白い話をオムニバス形式でいろいろ紹介してくれる漫画です。


 


 


 


そのなかに「心が通じ合う話」という回があって、そこでは動物にも感情はあるのか?という問題について触れられています。


 


 


 



人間以外の動物がどんな感覚世界を生きているのか、たとえその真相を解き明かすことができたとしても、それは人間によって理解された感覚であって、彼ら自身が感じているものとは違っている。結局は人間の感覚というフィルターを通したものとしてしか理解できないのだということです。


 


人間は動物にも自分たちと同じような心があると思ってしまい、ある種の勘違いのおかげで人間は動物と親密になろうとする。たとえ異生物であってもそこに人間に似た表情や仕草を見つけては擬人化して親しみを持ってしまう。


 


理解の及ばない異生物に自分と似たところを見つけて親近感を抱くことは、悪いことではないように思うのですが、それは未解明の点をあえて無視して人間に都合の良い存在として解釈しているだけなのではないか、とか思うこともあるのです。それはある意味、野性・自然をなめてかかるという行為であるようにも思えます。





異種の存在に不用意に親近感を抱くことの危険さ痛いな話がしたいので、ちょっと別の漫画家さんによるモンスター漫画を引用します。


田中雄一作品集『まちあわせ』に「害虫駆除局」という話があって、驚異の繁殖力で人間の生活圏を浸食する異生物「12脚虫」と、それを退治する害虫駆除局の職員たちの話です。


12脚虫は人間を捕食する、人類としては決して相容れることの無い存在です。しかし主人公・小野崎は12脚虫に対して恐怖心を持たず、警戒もしていない。むしろ愛着を持って接しており、害虫駆除の仕事にも身が入らない。


 


人間を苗床に卵を植え付け、ケツから栄養満点の蜜を出して苗床の生命を維持し幼虫を育てる恐ろしい虫・似我虫(じがむし)に対しても、小野崎君は臆しない。というか、少し危機感に欠けている、危うい馴れ馴れしさを見せます。


 


生命として人類を侵害している似我虫のケツから蜜を吸い取る、肝が据わっているというより、生物として何かが欠如しているように思えます。
似我虫に捕獲され幼虫の苗床にされていた上司の妻を救い出した後、犠牲者の凄惨な姿と似我虫の恐ろしい生態を目の当たりにしても、小野崎君はまったく他人事のように似我虫を愛する。彼は似我虫が人間を襲う敵であるということを、危機感を正しく認識できていない。


 


その結果、彼は似我虫につかまり巣にひきずりこまれて苗床にされてしまいます。害虫駆除局の迅速な対応によって小野崎君は救助されるのですが、その身には拭えない恐怖が残り12脚虫への愛着は一気に消え去ります。


 


 


この後小野崎君はさらにひどい目に遭い、害虫を1匹残らず殺してやることを決意します。


 


当初彼は12脚虫の生態について深い知識を持っていたにもかかわらず、彼らを敵視していませんでした。犬や猫にするように話しかけ愛着を持ち、彼らが人間を襲い、命を奪う力を持っていること、それが彼らにとってごく普通な生殖活動であるということ…異生物と人間の間の埋めがたいギャップを認識できていなかった。彼は12脚虫を愛していましたが、12脚虫の力をなめていたのです。怪物の破壊的能力に魅せられて非人道的な研究をする変態博士が研究対象に殺される話って、よくありますよね。


ケツから栄養満点の蜜が出るとか、似我虫の幼虫はちょっと顔が笑ってるように見えるとか、そんな人間に利益をもたらす要素よりも、12脚虫には警戒すべき攻撃力がある。いかに12脚虫に好意的にふるまっていたとしても、その攻撃の矛先が自分に向けられないという保証はどこにもない。小野崎君は異生物を科学的に理解できた気になっていたのかもしれませんが、生物として12脚虫のことを認識できてはいなかったのだと思います。


 





 


HUNTER x HUNTER』でもキメラアントの王やユピーが人間的な感情を抱いていることに会長とナックルは惑わされていました。ナックルはユピーを人類の敵として抹殺すべき存在と割り切れず、一方でネテロ会長は王に芽生えた人間性はむしろ人類を惑わせる危険なものと考え、王の人間らしい精神的弱点を突いて優位に立とうとしましたね。


 


自分にとって危険かもしれない異生物に、自分と似た精神性を感じたからと言って安易に親近感を抱いたりしてはいけないなぁなどと思うのです。そんな危険な異生物なんか現実に出会うことねぇだろとか言われるかもしれませんが、強面の人間とか、ヤンキーとかでも同じことが言えると思うのですよ。一見怖い人が実は優しくてギャップ萌えとか、かわいいとか言っている人を見ると、すごく危ないことをしているような気がしてならない。


 


 


自分とは全く違う生き物について、自分のフィルターを通して都合よく解釈するというのも嫌だけど、実際彼らの考えていること、彼らの感じている世界をそのままに理解することはできない、異生物に対しての態度が、私の中で全く固まりません。


 


文章に書き表すことで、他の生き物に対する恐怖心ばかりが高まってしまいましたが、それが悪いことであるかどうかも分からない。
ペットに対しても、その辺の動物たちに対しても過度にお近づきになろうとすると嫌われるし、人間とは分かり合えない動物とはいえ嫌われると傷つくので、ネテロ会長のようにあまり擬人化せず適度な距離を測って生きていきたいです。

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