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魍魎拳

漫画の感想の置き場

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とても気になる『絶望の犯島』



今一番続きが気になる業界大注目の漫画、進撃する裸の化物達との戦いを描いた漫画と言えば…




















『絶望の犯島~100人のブリーフ男vs1人の改造ギャル~』(櫻井稔文)ですよね。


漫画アクションで連載中のこの漫画、私は本当に気になってしょうがないのです。

―――――――――

巨大闇組織・亜九東グループの構成員で、グループ会長亜九東正義(あくとう まさよし)の自宅警備を任されている男前チンピラ釜島孝造(以下コーゾー)




持ち前のイカす面で女をやってはだまし騙し騙し、やりたい放題していたコーゾー。調子こきすぎて会長の愛妻愛娘にまで手を出し、会長の逆鱗に触れてしまいます。






ヤ○ザの世界で生きてるわりに冒険しすぎだよね


会長から呼び出しをくらい追求された後、睡眠薬を嗅がされ深い眠りから醒めたコーゾーは自分の体の異変に気づきます。





コーゾーは会長が雇った闇医者・朴偏泰(ぼくへんたい)先生の施術によって改造ギャルになってしまったのでした。

会長の嫉妬の怒りはそれだけでは済まない。自ら買い上げた無人島「ギャル犯島」に100人の性犯罪者を放ち



そこにギャル姿のコーゾーを投げ捨てる。
そしてコーゾーを犯したものは島から釈放してやるというレイプサバイバルゲームを始めます。



親方ァー!空から女の子が!

その地獄絵図、まさに『絶望の犯島~100人のブリーフ男vs1人の改造ギャル~』。しゃあなしにカマ掘ってたおっさんもギャル登場にこの咆哮






私はサバイバルとかゼロサムゲームってあんまり好きじゃないんですが、この漫画が本誌で始まったときあまりのインパクトに度肝を抜かれました。

常人の数倍の性欲を持つ性犯罪者達が何年も刑務所にぶちこまれて爆発寸前になったところに降ってきたバツンバツンギャル、しかも犯れば釈放されるという希望と欲望の光なわけです。


あの手この手で迫ってくる性犯罪者達にぶちこまれ寸前ギリギリのところで逃げ、囲まれては逃げ、精神的にも肉体的にも追い込まれるコーゾー。会長はその姿をモニターで見て大爆笑しています。


この状況で限界感じない人がいるだろうか



えげつない展開にハラハラしながらも、コーゾーが犯されそうになる場面になると「ついにやられちまったか!?」、とソワソワわくわくしてしまって、会長と同じ目線でこの漫画を楽しんでしまってる自分に気づいたり、それでもやっぱり面白いから読んでしまう。この漫画の娯楽としての魅力、連載の引きにすっかり吸い込まれてしまってます。


そして前号、弱った人間の心理を巧みに操る新興宗教の元教祖(信者を食いまくって捕まった性犯罪者)に捕まったコーゾーが、とうとうそいつにズブッとやられてしまったところで次回に続く!となりました。

本当に入ってしまったのか、穴を間違えてるんじゃないか、ここでやられてしまってはこの先の話でどう盛り上がりを作るのか、などと悶々と次の話を待っていて、昨日発売の漫画アクションを読んでみればなんと今回は休載!どうなったんだコーゾー!早く続き読ませろ!!って感じで今に至ります。




月30~40くらい雑誌を読んでいて、正直前話の内容をちゃんと覚えたまま次の連載まで待つのが大変で、雑誌を開いてから「ああそうだ今この漫画盛り上がってんだよなぁ」なんて思い出すような漫画ライフの中で


これほど次の話が気になって毎日もやもやする漫画は珍しくて、むしろ何がそんなに面白いのかなぁなんて考えたりしてました。
で、この漫画がこんなにも面白い理由には次のようなものが挙げられるんじゃないかななんて思ったんす。




①「女の子になりたい願望」をぶち壊される

この場合の「女の子になりたい」とはトランスジェンダー的な話ではなく、現実逃避の一種です。

古谷実の『僕といっしょ』って漫画で「このボタン押したら人生やり直せるって言われたら、押す?」と聞かれた主人公はこう答えました。



男の現実逃避の最左翼、「可愛い女だったら、もっと人生楽だった」という甘え。容姿関連で嫌なことがあったり、女性関連で嫌なことがあったりするとそんな考えが頭によぎるときがあります。可愛いまでいかなくても、女に生まれてたら違う世界が見れてたんじゃないかみたいな、ひどく甘い考えです。

しかし『絶望の犯島』を読んでるとそんなこと考えずにまともに生きようって気が少し湧いてきます。



女の人に生まれたら美醜様々な野郎から色目で見られることになるんだなぁとか、醜男からエロい目で見られるとか本当に嫌だろうなとか、そんな経験がないだけマシか、なんて思えるようになります。

~~~

ちょっと話はズレますが『悪の華』の作者押見修造先生がこんな漫画描いてます。



『僕は麻里のなか』はモテないフリーターが憧れの女子高生の肉体に入っちゃうっていう話です。
美人女子高生の晴れやかな人間関係や生活様式に主人公が馴染めるはずもなく、主人公は精神と肉体のずれに悩まされ続けています。この漫画もアクションで連載してるんですが、たしか今主人公は人生初の生理に苦しんでるところだったはず。


押見修造先生はダメな男の願望を良い感じに掬い上げては、残酷に叩き潰してきます。「漫画の世界ではお前らの夢見るようなシチュエーションがあるかもしれないけど、漫画の世界でさえお前らの夢は受け入れられないんだよ」みたいな、ストイックな人生観を感じます。

ちなみに押見修造先生は『ユウタイノヴァ』って作品でも魂が抜けて女の子の体に入っちゃうって話を描いてます。その辺の押見先生の変身願望は洋泉社ムック『まんが秘宝~男のための青春まんがクロニクル~』のインタビューで詳しく語ってらっしゃいます。押見先生エロい漫画めっちゃ詳しいです。


~~~

まぁとにかく男に生まれたので、めんどくさいけどこれからも男として生きていくべきなのだ、なんて思います。





続いて『絶望の犯島』もうひとつのポイント

②性犯罪者達が凄く気持ち悪い

気持ち悪い人間をちゃんと気持ち悪く描いてくれる漫画って案外少ないと思うんす。モブキャラでさえデフォルトされて描きやすいように綺麗に整えられている漫画の世界、マジモンのド変態キモ男を見ることってなかなかないんす。

しかし『絶望の犯島』はそのへん容赦ないです。







凄く気持ち悪い!
匂いで幼女をかぎ分けるドロリコンの性犯罪者、今どき珍しい清々しいほどの変態描写、ぶっ飛んだ性癖を語りながら股間をボリボリするなんて謝る気あんのか


ちなみに『絶望の犯島』単行本1巻、珠玉の見開きシーンがこちら




コーゾーには本当に掛ける言葉が見つからない


可愛い女の子がキャッキャウフフしてる漫画を見て癒されるとか、イケメン高校生がスポーツに打ち込んでる姿に青春を感じたりも好きなんですが、たまにはきったねぇものも見たくなるんですよね。ビジネスビルも好きだし廃墟も糞便所にも趣を感じるんす。汚い面のド変態性犯罪者だってたまには見たいじゃないですか。

それがなんと100人もいるんです。性犯罪者のお徳用バラエティパックですね。お得です。本当に気持ち悪いキャラが続々出てきます。



―――――――――――――


私が思う『絶望の犯島』の良いところはそんな感じです。漫画アクションは隔週刊行で、週刊よりも連載の空きがあり月刊よりも早く読める、丁度良く楽しめる雑誌で、そこにこの変な漫画が掲載されているのはすごく私的に嬉しいことです。

次の漫画アクションが楽しみです。果たしてコーゾーは本当にぶちこまれてしまったのか?そもそもコーゾーって処女なのか?性感帯とかついてんのか?など気になるポイントがたくさんあります。はやく読みたい。

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その出落ち、本当に出落ちですか:『出落ちガール』

Wikipediaによると「出落ち」とは…


登場と同時に笑いをとること。主に変な服装・格好・メイク、あるいは裸・裸に近い格好で登場すること。 いくら手の込んだ格好をしても、一度見せたらそれでお終いという「一発芸」であり、その後は笑いの効果が全く無い、傍から見ても居心地が悪い状態を晒し続ける事となる。一般人が宴会やパーティーなどの場で出オチとなる芸を行ってしまうと、このような状況に陥る場合が殆ど。


とあります。後半は投稿者の私情が挟まってる感じがしますが、私の中では


話中の盛り上がりポイントが冒頭でMaxになり、その後緩やかに話が終息する物語構成のことを指す言葉だと認識しています。




Wikipediaの記事もそうなんですが、「出落ち」って悪い意味で語られることが多いように思うんですよね。設定とか見た目の奇抜さで瞬間的な熱狂を呼ぶものの後半ダレてしまって、結果「あんまりおもしろくなかったな…」って印象で締めてしまう感じ、「出落ち」はそんな意味で使われてるように思います。



では、「出落ち」そのものを題材にしたこの漫画は果たして「あんまりおもしろくない」漫画なのでしょうか?

鈴木小波短編集『出落ちガール』



全てが奇抜な設定の「出落ち」モノで、短編のタイトルも思い付きでやっちゃった感がビシビシ伝わってくるものばかり




『脱エバ』
謎の野球拳少女エバとの野球拳真剣勝負

三途の川で亡者の衣服を剥ぎ取る脱衣婆(だつえばばあ)をもじったタイトルが秀逸です。




『おかんゴースト』
喧嘩三昧の不良息子を優しく見守る母(幽霊)が憑依金縛りを駆使して敵を撃退する話

おかんだけど若くして亡くなった方ということで、ガール判定です。おかんの悪寒




『クーパー伊藤さん』
ミニクーパーカー(10cm)から出てきた謎の脱出ミニチュア少女の話



なんかどっかで聞いたことある決め台詞





『ヒトミとゴクー』
山の主ゴクーを鎮めるために人身御供(ひとみごくう)に出された生け贄少女ヒトミの話

なんてふてぶてしい生け贄



等々…




設定の情報だけ並べてみると本当に清々しいほどに「出落ち」、しかしその実は起承転結のしっかりと整った素敵読切の集まりであって、全くもって「出落ち」ではないんですよね。



『おかんゴースト』は幽霊の母ちゃんを煙たがる不良息子が、煙たがりながらも見せる母ちゃんへの優しさにグッと来ます。またおかんが息子を守るために頑張る姿も素晴らしいです。設定のわりに話の肝はとても優しい親子愛で彩られています。






寄生虫ダイエットに挑戦するぽっちゃり女子高生と、その子に片想いするノッポ男子の話『エイリアンダイエット』では

素敵なキャラクターの女子高生が


エイリアンダイエットに成功して激ヤセするんですが


どこにいてもぽっちゃりな体と突き抜けるような笑い声ですぐにわかったのに、痩せて美人になってしまった彼女を人ごみの中から見つけられなくなってしまった、と悲しむ主人公の心理描写が凄くよい感じです。ラブコメの青臭さ完璧です。




『ヒトミとゴクー』では孤独な少女と人を喰う化物の、人社会から退けられたもの同士の『モンスターズインク』みたいな優しい触れ合いがあったり



無表情なヒトミを泣かせてやろうと頑張るゴクー



タイトルとか設定とかふざけたところも多いんだけど、なんだかんだ最後のオチでは泣きそうになってしまうような、本当に良い話が多いんです。盛り上がりポイントを冒頭で使いきってしまう「出落ち」ではない、『出落ちガール』の盛り上がりポイントは冒頭と締めの二段落ち展開なんですよね。本当に良い読切
集です。


『出落ちガール』の『出落ち』はある種自虐的なネーミングで、力強い設定としっかり組まれたストーリーの二つの要素が整った、「良い漫画」というのが私の抱いた印象です。


――――――――――――――――

奇抜な設定でインパクトばかりが先行して、「出落ちモノ」だと思われてる漫画って割とあるなって思うんすよね。

私は北崎拓先生の『クピドの悪戯シリーズ』が凄く好きなんですが、これらの作品は全部設定がエロ方向にぶっ飛んでて、知り合いに薦めると「ああいうエロイ漫画も読むんだ…(ムッツリエロガッパめ…)」みたいな感じでちょっと引かれたりするんす。


例えば『さくらんぼシンドローム』は…


主人公のもとに現れた謎の少女は体がどんどん若返っていく奇病にかかっていて、その進行を遅らせる酵素を奇跡的に主人公が持っているんだけど、その酵素は唾液から分泌されるのでキスで摂取するのが一番効率的。
少女が順当に年を取って生きていくためには主人公が毎日キスをしなくてはならない、って設定。



また『このSを、見よ! 』は


主人公の臀部には生まれつき奇っ怪なアザ(スティグマ)があり、そのアザを見た女性は必ず主人公に惚れてしまい一発ヤルとその魔力から解放される、という、まぁエロ漫画みたいな設定なんすね。




ただこの『クピドの悪戯シリーズ』はただ主人公がエロイことする漫画ではなくて、このエロ漫画みたいな設定に人生を振り回されてしまう主人公や女性キャラたちの凄まじい愛憎劇なんす。昼ドラに近いものを感じますね。

『このS』の主人公はアザのせいで他人からの愛情に懐疑的になり、人間不信に


『さくらんぼシンドローム』のヒロインは自らの運命を呪い、自殺を考えるほどに苦しみます。




北崎拓先生は表情の描き分けとか、悲しさの表現が本当にえげつなくてすきです。

登場人物一人一人が、20数年の人生を生きてきた人格あるキャラクターとして描かれていて、彼らの一回きりの人生がその設定のせいでズタボロになったりより強い人間へと成長させたりと、「出落ち」とは呼べないエグみのあるストーリー漫画なんすね。『クピドの悪戯シリーズ』。めっさ面白いんですよ。本当に



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最初の方読んで「出落ちモノ」と思ってしまうような物語も、ちゃんと後まで読んでみたら素晴らしいストーリーを紡いでいたりします。それを自分の力で見極めるのはちょっとめんどくさかったりもするんですが、設定とストーリーの双方のパワーを兼ね備えた最強の作品に出会うためには、「出落ちっぽいもの」を「出落ち」と切り捨てずしっかり作品に向き合ってみることが大事かななんて思いましたよ。



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今すぐkiss meじゃない方の『リンドバーグ』

創作物の謳い文句に「どこか懐かしい物語」って表現が使われることがよくありますが、何をもって「懐かしい」といってるのかイマイチわかりませんよね。



私のなかでの「懐かしい」の定義は幼少期に見た景色やら経験やらそのときの心情なんかをしんみりと思い出すこと、「懐かしい物語」は自分の記憶にある情景(に近いもの)を描いたもの、って感じで

レトロな日本の街風情とか、ぼくのなつやすみ的なジュブナイル体験を描いているものを見て「懐かしい」と感じるのはよくわかるんですよね。



でも、「どこか懐かしい冒険ファンタジー」って謳い文句がついた作品に触れる時に、私たちは自分の記憶の何と結びつけて「懐かしい」と感じれば良いのやら迷ってしまいます。実際私はそれを読んで懐かしい気持ちになっているんですが、自分の経験とはかけ離れた世界の物語に感じるノスタルジーってのは、一対どっから湧いてくるもんなんでしょうか。ファンタジーみたいな冒険したこと、普通ないですよね。


でもやっぱり「どこか懐かしい冒険ファンタジー」ってのは存在しますし、私はそれが好きでたまりません。


ゲッサンで連載されていたアントンシク先生の『リンドバーグ』は、読んでてとても懐かしい気持ちになる飛行機ファンタジーです。






『Last Exile』や『天空の城ラピュタ』に似た空感。表紙の絵たまらんです。全八巻と読みやすいですよ。


恐竜のような姿で「空気を蹴り空を跳ねる」能力をもつ生物・リンドバーグ、リンドバーグに羽根と装甲を着け「空を翔ぶ生物」と「それを操るもの」として共生を図る人間の物語。


空を自由に飛んでみたいという夢を追う少年ニットと、ニットの亡き父が拾ってきた謎の生物プラモ 。

亡き父の夢を追い、毎日飛行機の設計をするニット。『ラピュタ』のパズーに似てますが、ニットの方が少年っぽい、と思います。




プラモはとにかく可愛い。単行本裏表紙は全て可愛いプラモの絵でしめられています。






プラモ本当にめっちゃ可愛い

二人のもとに現れた巨大なリンドバーグと空賊団船長シャーク。




藤原啓二の声が合いそうなイイ男です。
シャークに連れられてニットとプラモは故郷を飛び出し、シャーク空賊団の一員として世界を旅する、という話。


リンドバーグの力を軍事利用して隣国侵略・国土拡大を進める巨大帝国。シャーク空賊団と敵対関係。



其れを統べるは冷血な女帝



女帝直属飛空挺団「黒薔薇七銃士隊」







女帝が溺愛するじゃじゃ馬王女ティルダ





本当に素晴らしいじゃじゃ馬感
なんか映画『スチームボーイ』を思い出します。ニットをライバル視する彼女はリンドバーグレースでニット対決します。


そして深まる「リンドバーグ」の謎とともに進む物語…と、素晴らしいワクワク感でこのまんがは彩られています。


全編ニットの目線を通して描かれているので、読んでる側の気分は少年、私も8歳ぐらいになった気持ちで読んでいました。

特にシャークは大人になっても夢を追い続けてる、ニット達次世代のこどもに背中で道を示してくれる存在として、現実的な女帝達との比較のなかでめっちゃかっこいい人間として描かれてるんですね。『グレンラガン』のカミナのような、少年の憧れの存在なんです。

野郎であれば誰でも少年の気持ちになって読むことができる、外の世界を知らない無垢な気持ちで「冒険したい!!」と思うことができる、問答無用で少年まんがなんですね。『リンドバーグ』



またこの『リンドバーグ』の世界観を支える設定の緻密さがなんとも懐かしい気持ちにさせてくれます。

「リンドバーグ」のランク分け、飛空挺の設定ラフ、町や土地の説明文など、私たち少年読者がその世界観に想像を巡らせる余地がいっぱい仕込まれていて、ワクワクが押し寄せてきます。







「主に畜産が盛ん。」こんな一言だけでも読んでる側の想像はグッと広がりますよね。

リンドバーグのランク分け


スペイン語にちなんだネーミングや、ランクごとの特性がびっちり描き込まれてるあたり最高ですね。


少年まんがの単行本には、空きページで物語に登場する魅力的なアイテムを解説するコーナーがあり、やはり私も幼少期それをかじりつくように読んでいました。『NARUTO』の印の組み方しかり、RPGの攻略本の絵付き武器解説ページに近いものがあります。



と、このようにど真ん中ド直球ドストレートに最高な冒険ファンタジーなんですが、このワクワク感は何だかとても懐かしい。すごく「少年まんが」って感じがするんですよね。小さい頃にドラえもんの映画『のび太のふしぎ風使い』を観たときのような、こどもの頃のワクワク感。




今私が面白いと感じるものってこどもの頃に比べると随分幅が広がってきたように思うんす。
ねちっこい愛憎劇とかふわふわした雰囲気モノとか緻密な心理描写とか任侠とか、そういうのは大人になるにつれて少しずつ面白いと感じるようになったもので、最近はそういうのを中心に読むようになりました。


でも、こどもの頃に私が読んでたもの観てたものって、とりあえずひたすらワクワクする冒険ファンタジーだったんですよね。『シンドバットの冒険』とか『不思議の海のナディア』とか、とにかく冒険したがっていました。

「どこか懐かしい」とはつまり、少年の頃にはまりまくったものの大人になって疎遠になっていた冒険モノに、久々に触れたことで湧き起こるノスタルジーなんでしょうね。物語そのものではなく、物語から感じるワクワク感を通じて、そんなワクワクする冒険を楽しんでいた「懐かしい」少年の頃の記憶があると。


「懐かしいファンタジー」ってのはそういう意味なんだろうな、と思うわけです。


最近ワクワクするまんが読んでないなぁ、とか、老けたなぁ、とか思ってる人にはオススムです。一桁代まで若返ります、『リンドバーグ』。
本当にすげえ面白いですので、是非どうぞ…

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そういや「役不足」って言葉を本来の意味で使ってる漫画はじめてみました。


一瞬言葉の意味を考えて、むしろ正しい使い方の方が理解に時間かかりますね。でもこのキャラ頭良いんだろうなぁなんて思える、良いコマでした。

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『不死身ラヴァーズ』と『アポロの歌』(追記:2014年3月9日)

別冊少年マガジンで連載してる『不死身ラヴァーズ』って漫画が好きで、9月9日に単行本が出るのをすごく楽しみにしています。

講談社公式サイトで第一話が無料で読めますぞね。是非読んでから読んでよね。


――――――――――――――

主人公・甲野は長谷部という女の子が好きで、その子に好かれるために全力で彼女にアピールします。様々な困難を乗り越え、主人公の努力が報われ晴れて長谷部と両思いに…と、ここまでは普通のラブコメなんですが



主人公と長谷部が両思いになった瞬間に、なぜか長谷部は消滅してしまいます。本当に突然、残酷なほどにボシュッと消えてしまいます。クラスメイトに聞くと「そんな奴はもとからいない」と言われ、主人公だけが長谷部のことを覚えている。
長谷部はこの世から完全に消えてしまったとわかり、主人公はボッコボコに傷つきます。


ところが、長谷部のことが忘れられず悶々とした日々を送る主人公のもとに消えたはずの長谷部が現れるのです。同い年であったはずが、何故か後輩となって

いろいろ不可思議な点はありますが、そんなことより長谷部が好きでしょうがない主人公はめげずに再び長谷部に全力で接近

そして晴れて両思いになったかと思うと、また長谷部は消滅…こんなループがエンドレスに続いていきます。



時には大学生の姿で、時には中学生、前回は小学生の姿で現れた長谷部に主人公は突撃してなんとか親密になり、そしてやはり、その瞬間に長谷部は消滅します。


私がこの漫画好きなのは、悲劇的な話に心ひかれるからってのと、目の前で何度も想い人が消滅するダメージに耐えられる主人公のタフさに感動するからなんすね。
ひとつのエピソードの始まり、長谷部が主人公の前に現れた時点で、主人公には結末が見えている。それなのに主人公は「何度も長谷部を好きになれて嬉しい!」と強靭な精神力で耐え、消えてしまった長谷部が再び自分のもとに現れるのを待ち、そして突撃します。


心臓を抉られるようなダメージを受けながらも何度も蘇る主人公の超人っぷりをして『不死身ラヴァーズ』と表しているんでしょう。
ダメージを受けるごとに、次の長谷部に出会ったときの主人公がよりハイになっていってる感じも、まさに不死身のサイヤ人ですね。



悲劇の主人公なのに「何でこんな目に合わなきゃならないんだ!」と世界を呪う素振りを全く見せない甲野君は本当に良いやつだなぁ、と思って毎回全力で応援しながら読んでるんですが、なかなか報われません。

ただ長谷部さんが消えずに甲野君とくっついちゃうと漫画として終わっちゃうのでそれも寂しいなぁとか、なんか一番酷いのは彼らの悲劇を楽しんでる自分なんじゃないかとか思ってしまうこともあるんですが、まぁ読んじゃうんですよね。



―――――――――――――

感想かいてて気づいたんですが


この『不死身ラヴァーズ』って、話の構成は手塚治虫の『アポロの歌』と全く一緒なんですよね。


『アポロの歌』は異性間の愛情行為に並々ならぬ憎悪を抱く少年・近石昭吾が、神っぽい存在から「決して叶うことのない悲恋を何度も経験させられる試練」を課せられ、しこたま辛い思いをするって漫画です。




ヒロイン役は微妙に人格や社会的地位なんかが違うんですが、全て同じ顔をしたほぼ同一人物として描かれています。手塚治虫の女性キャラってほとんど同じ顔な気もしますが、まぁそういう設定です。

『ふしぎなメルモ』『やけっぱちのマリア』と並んで三大性教育漫画なんて言われてますが、他の二つと比べるとかなりスパルタな性教育



『不死身ラヴァーズ』は悲劇的な結末にもめげない甲野君の明るさと、消えてもまた長谷部はちゃんと復活してくれるという、ギリギリポジティブになれる要素のある漫画です。



しかし『アポロの歌』の主人公・近石昭吾の場合、想い人が目の前で消えるどころか

撲殺


地割れに


熱泥に


爆死


爆死!


爆死!!


と、トラウマ確定な映像を目の前で見せられて嘆き苦しみまくっていて、およそポジティブになる隙がありません。同じ消えるにしても、ボシュッと一瞬にして消える方が、まだ作者の優しさを感じます。近石昭吾も悲劇の連続で少しずつ丸くなっていって、最後には愛情の偉大さを理解しているような素振りを見せているんですが




手塚治虫先生のスパルタ教育はやむことなく、次なる悲劇に向かって昭吾が歩いていくシーンで、この漫画は完結しています。




ヒロインの悲劇的消滅がループ、ボッコボコに苦しむ主人公いう共通点をもつ二つの作品


寸前でブレーキを掛ける優しさをもった『不死身ラヴァーズ』

負のベクトルにとがった絶対値のでかい『アポロの歌』




どっちの作品が好きかと言われるとすげえ迷うんですが、近石昭吾には永遠に苦しみ抜いてもっと丸い人間になってほしいし、甲野君にはいつか長谷部さんと結ばれて幸せになってほしいなぁと思っていて


同じようなきつい経験をさせられてる主人公でも近石昭吾は間違いなく作者にいじめられているし、甲野君は作者に愛されていると思うんですね。似たような設定でも作者の心の持ちようでこんなにもキャラの印象って変わるもんなんだなぁと、比較しやすい作品だったのでそんなことをミシミシ感じました。





いやあやっぱり甲野君は良いやつだ。





(追記)

『不死身ラヴァ―ズ』が完結しました。



以下、最終話のネタバレ要素を含みますので、ご注意ください。



 








別冊少年マガジンに最終話が載った際には「第一部完結」と銘打たれていて、
8日発売の4月号には完結巻・単行本3巻の宣伝とともに「第2部は寝て待て!」と編集からのコメントが付いていました。

2巻から登場したもう一人の不死身さん・花森さんに焦点を当てた話が始まるのではないか、最終話で攻守が入れ替わった甲野と長谷部の対決がハッピーエンドに向かうまでを描いてくれるのでは、などと期待しています。

特に、甲野君と同じく好きになった相手が消えてしまうという問題に直面している花森さんがボソッと漏らした「双子の兄弟」のこと、過去に消えてしまった
3人の相手のことなんかも気になりますね。



 



 



2部!第2部!!早く!!!



 



 



 



で、最終巻・3巻を読んでて気づいたことを一つだけ



甲野君の左目には泣きぼくろが2つあって、長谷部さんの右目には泣きぼくろが一つあります。



 
甲野君が好きな「長谷部りの」には、右目泣きぼくろが一つあります。 



で、『不死身ラヴァ―ズ』第一部の最終章、今度は男の「長谷部りの」として甲野君の前に表れた長谷部君




やはり右目の下に泣きぼくろが一つあります。


たとえ男であっても全く止まらない甲野君、「長谷部りの」という人間を愛する甲野君の尽力は性別の壁すらぶち破り、甲野君と長谷部君は晴れて両想いとなるんですが


 



 



今までは甲野君と長谷部さんが両思いになると長谷部さんが消えてしまっていたんですが、ここで二人の立場が逆転します。甲野君の存在がボシュっと消えてしまい、長谷部君だけが残ってしまう。


そしてその瞬間から、ちょっとわかりにくいんですが、元は一つだけだった長谷部君の右目の泣きぼくろが
2つに増えているんです。




 
「長谷部りの」君の右目の下に二つの泣きぼくろが、その姿は消えてしまった甲野君と対照的・対称的です。

この二つ目の泣きぼくろ、どのコマもうまいこと長谷部君の前髪で隠れていて、作者の高木ユーナ先生も意図的にわかりにくくしてるのかもしれません



 



甲野君の左目にあった泣きぼくろが、今度は長谷部君に移ってきた、好きになった人間が消えるという試練が甲野君から長谷部君に移ったことを表しているのだと、受け取っています。みんな気づいていたことなのかもしれませんが、今さっきそのことに気づいてちょっとテンションが上がったので、追記として書いてみました。



 



 



『不死身ラヴァーズ』第2部、早く読みたいですね。





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とある魔術の気功拳②

「拳法」は科学か、オカルトか、みたいな話



「拳法」って合理的な力の流れを追求した体術っていう一面もあるけれど 、様々なスピリチュアルな概念を取り込んだ精神術としての一面もあって、どうも胡散臭いイメージがあるんすよね。そもそも道教とか陰陽五行説とか宗教系から生まれたものが多いですし。

特に私がよくわからんな、と感じるのは「気」という概念


・気
バトルものでなくても「気配」「殺気」なんて概念が普通に使われてますが、何で人間がそんなものが感じ取れるのか、納得のいく説明を受けたことがないです。

『スプリガン』に出てくる朧は「気」を操る気法師という、作中でもずば抜けて胡散臭くずば抜けて強いキャラクターです。






「気」について、そのメカニズムも操り方も特に説明はなく、実在するって前提で話が進んでいます。

「気を練る」「気をためる」なんて表現もよく聞きますが、結局何をやってるのかよくわからないですよね。


『修羅の門』や『NARUTO』にはこの「気」を解放する「門」ってものまで出てきますが、やはり「気」を練って開くものらしい。

『修羅の門』
陸奥九十九の必殺技「四門」




気が十分に溜まるとこうなります。



できる気がしませんよね。

その存在に科学的な根拠は提示されておらず、もはや科学とは相容れない魔術に近い概念であるように感じます。少なくとも私には実感できない存在なので、フィクションのなかにしか存在しない架空の力なんじゃないかと。



しかし、そんな曖昧な存在に懐疑的になる一方で、「もしかしたら『気』も『オーラ』も、本当に存在するのかもしれない…」と思っている自分もいます。



合理的で効率的な体術としての一面
・太極拳
『ツマヌダ格闘街』で紹介されている太極拳の技術





太極拳含め古今東西のあらゆる拳法の実用性がわかりやすく説明されてます。

・合気道
『Evil Heart』


なんか練習すればできそうな気がしますね。人間の体の構造を正確に把握して、最小限の動きで最大の効果を与える、とても理にかなった技術です。

合理的ないなし方の解説のほか、「気」という概念に一つの解釈を加えています。




かつて私が柔道部に入っていた頃、警視庁や総合警備の重量級選手を次々に投げ飛ばし、道場内にいる全ての人間を笑いながら投げ千切る、弥勒菩薩みたいな老師に会ったことがあります。
たいして力もいれる様子もなく、それでいて体重さをものともしない鋭いスピードの投げ、「柔よくマジで剛を制す」って感じでした。
聞けば県の社会人大会で10年連続で優勝していて、そのうち9割が一本勝ちだったとか。


そんな武術の高みにいる人間を見ると、「彼らには常人には見えない何かが見えているのではないか?」と思えてくるんす。口に出さないだけで、彼らは気功や風水などの力の流れを認識しているのではなかろうかと。


科学的な解明より先に、彼らの超人的な身体能力と長きに渡る修練が「気」や「風水」に追い付いてしまったんじゃないか?

オカルト寄りな拳法も、実は科学の力が追い付いていないだけで本当に存在するのでは?そして修行次第で人間がそれを操ることも可能なのでは!?
というのが、私の願望、推測です。

―――――――――――――


皆「あるわけねぇだろ」と思ってる超パワーも、科学技術で解明できてないだけで本当は存在するかもしれないし、人間がそれを扱えるようになる日が来るかもしれない。



かつてどれだけ練習しても出せなかった波動拳も、練習の仕方が間違っていただけで正しく練習すれば撃てるようになってたのかもしれない。その練習法も、いつか科学が解明する日が来るかもしれない。



そんな感じのことを考えて生きていたら、いつのまにか23歳になっていました。私は何歳まで超人的な能力に憧れ、その存在を信じ続けることができるんでしょうね。

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拳死狼
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非公開

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