漫画の感想の置き場
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モーニングで最近完結した『異法人』の単行本・全3巻を読んでいろいろと思ったことを書きます。
ネタバレまみれなので、読んでくれるという方は、気を付けてお読みください。
ハンムラビ法典を編纂したハンムラビ国王が現世にタイムスリップし、現代法と刑罰の曖昧さ、日本人が死刑を忌避していることに対して疑問を抱き、絶対強固な法によって支配された世界を作ろうとする、って話です。
この漫画は「死刑・私刑の是非」「人が真に罪を償うにはどうすればいいのか」「法とは」…など趣深いテーマがたくさん詰まっていて、個性あるキャラクターに緊張感あるストーリー展開云々、とにかくとても面白い作品だったんですが
連載が始まった当初、主人公のアオくんが発する言葉の薄っぺらさがすごく気になって、彼のことがあんまり好きになれなかったんですよね。
『異法人』は罪やら死やら、死刑・私刑に関する様々な問題が出てくるんですが、それに対するアオくんの態度がすごく優等生的というか、そんなに割り切って考えられたら苦労せんわい!って感じのぬるさがあって、イライラするんす。
母親を無慈悲に殺された親友が、殺人犯に復讐心をむき出しにしているのを見て
濁流に呑まれそうになって、一緒に木片にしがみついていた子供を水没させて殺した男に会って
しかし実の母を殺された人間にそんなことができるのか、人を簡単に殺した人間と普通に接することなんて本当にできるのか、アオくんにはその辺の考えの甘さが各所に見られて、モヤモヤします。
ハンムラビ法典編纂者としての明確で厳格な思想を持って人間を罰する「アカ」(=ハンムラビ王)に対して、クラスでパシリ扱いされているアオくんの謳う正義「人を赦すことで救われる」の薄っぺらさ
アオくんは偽善者なわけではなく、本当に心優しい人間だから、そういうもっともな言葉が出てきてるんですが、そんな心からの言葉であってもアカの厳格な法の前では綺麗ごとに聞こえてしまうのです。母を無慈悲に殺された友人に対しても、濁流にのまれ生き延びるために子供を犠牲にしてしまった男性に対しても、アオから発せられる正義の言葉は、どうも説得力がない。
ハンムラビ王が日本人の法のとらえ方に疑問を抱いたのも、このアオくんの無抵抗・博愛の精神に実効性のなさを感じたからなんですよね
アオの言ってる内容はとても正しいし、彼は心からそう思っていっているはずなのに、何故こんなにも薄く感じられるのか。それはアオの同級生で、最低な前科餅オジサンに母親を殺されてしまった廣治くんの言葉に表れているように、アオは「第3者」だからなんだと思うんす。
善良な普通の高校生の彼には、罪の当事者として人間の善悪について考えるような経験がない。一国の王として多くの人間を統治するアカや、母を殺された復讐心に燃える廣治に比べて、アオの発言には経験に基づいた人生観が感じられないんですよね。
ハンムラビ王アカは、実兄である先代ハンムラビ王が目指した「法の消滅した完全な世界」とその崩壊を目の当たりにし、厳格かつ絶対な法の執行こそ世を統治する最高のルールであると考えるようになります。柔軟にルールを改変し、全ての人間が自律心を持って生きていくことができるようになれば、法は必要なくなる、法のない世界こそ思考だと考えた先代ハンムラビ王
奴隷になる人間は断髪する決まりがあったのだが、先代はとっさにこれを改変
先代が奴隷に服飾を許したことで国家の生産性が上がり、バビロン王国はかつてない繁栄を迎えるのですが、アカは兄の行為が正しかったとは思っておらず
アカの思想には実体験に基づいた根強い論拠があるのです。
「善良」って、幸せな家庭に生まれてそれなりに恵まれた生活を送っていれば、悪く言えば誰でも自然にたどりつく思想だと思うんです。つらい経験をして心が悪に揺らぎそうになったり、何か良心を試される機会にさらされてこなかったために非常に純真で、また考えが浅く感じられるんです。なかなかこの主人公のことが好きになれなませんでした。
しかし物語が進んでいくにつれて、アオくんの語る正義はだんだん精錬されていきました。
物語の序盤、アオの親友・廣治の母親がある男に無慈悲に殺害されてしまいます。
警察から脱走した犯人を追いつめた廣治とアオ
廣治の母を殺した犯人は極めて自分本位で罪の意識が低く、廣治の復讐心・殺意を煽ります。アオは何とか正論を語って廣治を止めようとするんですが、こんな人間を前にして殺意を止めることなんてできるわけがなく、廣治は彼を殺害する一歩手前まで行ってしまいます。しかし良心や母のことを思ってとどめがさせない。
そこで突然現れたアカが、廣治に代わって犯人を処刑します。廣治の殺意はアカによって救われ、闘争から解放されます。自分の言葉では廣治を救えなかったこと、アカの法と厳罰の執行に、自分の考えでは対抗できないということを、アオは実感します。
またあるときには洪水の中、生き延びるために子供を沈めたおっさん
自分のために罪なきものを殺したとして、おっさんはアカによって洪水に突き落とされます。
アオはそんなおっさんを助けようとして、逆に殺されそうになってしまう。
おっさんに心の奥を見透かされ、自分の考えの甘さを指摘されます。
そんな目にあってなお、こんなことを言うアオくん
彼のこの発言に、アカと同じ時代からやってきたバビロン王国の同盟国の王、シャーイルは怒り、鉄拳制裁を加えます
『北斗の拳』で「無抵抗こそ弱者の生きるすべ」と謳って村を守ろうとした村長が、ラオウの逆鱗に触れて八つ裂きにされたのを思い出しました。さすがにアオくんが少しかわいそうになってきます。
ちなみにアオくんをボコっていたシャーイルさんはこの左のコマの人です。彼は生前アカの思想に真っ向から対立し、ハンムラビ法典に唾を吐いたことでアカの呪詛攻撃を受けます。アカの呪詛を受けたシャーイルさんは記憶を保ったまま何度も転生し、必ず戦争の中で殺される最期を迎えるという、ゴールド・エクスペリエンス・レクイエムを食らったボスのような状態になり、何度目かの人生でアオとアカの時代にたどり着いたという人物です。
この人です。
死の苦しみを何度も味わった彼はアカの絶対的な厳罰主義には賛同しないものの、アオくんの語るようなぬっるい正義論には本当に虫唾が走るのだと思います。
アオくんは、作中何度も人の善悪・罪と罰について、限りなく当事者に近い第三者として観ゲル機会を与えられます。考えの甘さ、本当に相手を許すこととは何か、争わないことのむずかしさを身を持って体感しながらも、それでもアオくんは心を折りません。
アオくんの純粋な心は、辛い経験をするにつれて磨きがかかり、焼きが入ってより強く輝いていきます。だんだんアオくんがかっこよく見えてきました。
そして最終局面、ジッグラドの上でアカと対峙するアオくん。
論議の末にアカに処刑されそうになったところで、アオの論議に純真を取り戻した廣治くんが身代わりとなってアカの刃を受け、死んでしまいます。
目の前で親友を殺されたアオくんは、一瞬我を忘れてアカに刃を向けてしまいます。他人を赦す法を謳う彼は、自分の中の心の矛盾に苦しみます。
彼はついに赦す赦さないを判断する当事者となり、本当に殺人者を赦すことができるのか、真に悩むこととなります。
そして最終話、苦悩の末にアカを赦すという思考にたどり着いたアオくん
彼の「赦す法」は完全なものとなります。
このときのアオくんの思考の流れはとてもすてきでした。
それは自己完結していたアカの思想をも揺るがし、物語を通しての「法の解釈」として読者に提示されます。あんなに薄っぺらだったアオの思想は、ハンムラビ王すら打ち負かすほどの傑へと成長して、何やら感動しました。
何が言いたいかって
正義も悪も、自分が当事者となって是非を考える経験バックグラウンドを感じさせないことには、語るにあたって説得力も糞もないなって思ったんすね。どんなに綺麗な正義感を掲げられても、世界を救済するような気高い理想を語られても、語り手の経験に基づいた発想でなければなんの味気もない空論に聞こえてしまうという
漫画を読んでる時に、理由もなく正義活動に身を削っている主人公をみると違和感があったりします。困ってる人がいたら助ける、世界を滅ぼそうとするやつがいれば、みんなのためにそいつを倒す、物語のヒーローとしてはすごく当然のことで、その是非を疑う余地はない。それはそうなんですが、なんかピンと来ないんですよね。
一方で、悪役の理論や野望から主人公以上の説得力を感じて、反論が思いつかないケースってよくあるんですよね。またそういう時って正義役の主人公たちもすっきりした解答ができてなかったり、結局力でねじ伏せてその思想をなかったことにしてることとか、あったり云々
長くなったので続きます。
『異法人』以外のはなしです。
『このSを見よ!』のヒロインは、両親を事故で失った主人公が親戚に引き取られ離れ離れになることを悲しんで、年の離れた主人公にとっての初恋の人となって幼少期から異性としてのイメージを強烈に植えつけようとします。親を失った悲しみと、少年の初恋に付け込んで自分の存在をかけがえのないものにしようとしたのですね。
その甲斐あって主人公はがっつりとヒロインに恋心を抱くようになり、彼が高校を卒業したころにはヒロイン一直線の純情野郎に成長します。しかしヒロインは難病にかかった祖母の入院費用を盾に、院長の息子から望まぬ結婚を迫られ、あげく院長息子は歪んだ性癖性格の持ち主で、主人公への思いもたちけれず彼女は非常に苦しい新婚生活を送ることになります。
その事実を知った主人公は入院費用を稼ぐために身を削って働き、何とかしてヒロインを救出しようと人間性すら投げ捨てて行動します。
そしてヒロインは、主人公ならきっとそうしてくれるだろうとどこか期待してしまっている、彼が身を滅ぼしてまで自分のために動いてくれると確信していて、自分が幼い頃の彼に植え付けた初恋が今の彼を破滅へと誘っている、「初恋は呪いだ」という言葉を発します。
『このSを、見よ!』では、主人公とヒロインの初恋の呪いによって多くの人生が狂ってしまい、また彼らの関係もおよそハッピーエンドとは言えない恐ろしい結末を迎えてしまいました。ヒロインは主人公の人生を自分中心の世界に縛り付けてしまったことを後悔する一方で、主人公の自分への恋心に絶対的な信頼を置き心のよりどころにしてしまっている、その相反する二つの心がヒロインの心を引き裂いていくという、北崎拓先生らしい嫌な話です。
ポジティブな意味を持つものが自分にとってなぜか非常に苦しい枷となってのしかかってくる事例ってよくあるというか、私はそういう思考に陥ってしまうことが多いなって思ってて
アフタヌーンに載っていたトウテムポール先生の読切『グッドバイ』で結婚を控えた主人公・日吉君が言った「おめでとうって言われると脅迫されてるみたいだ」という科白もそれに近いなぁって思うんすね。
付き合っている女性との間に子供ができて結婚を迫られているんだけど、家庭・妻帯者・子持ちという制約を受け入れられない日吉君はひたすら差し迫る結婚という現実から目を背け続けていて、ついには小中学校時代の親友との思い出に逃避するようになります。一番気が合って、自由な考え方を持っていたかっこいい親友あっちゃん
そんな日吉君が同窓会に出席して中学以来久々に親友あっちゃんに再会するんだけど、彼よりもはるかに速いスピードで大人になっていたあっちゃんは日吉君の結婚をさらっと祝福してしまいます。
おめでとうという脅迫
すでにあっちゃんには子供のころのような夢しか見ない子供っぽさはなく生き方に甘えがありません。一方日吉君は逃げ場のない人生を歩んでいながら最後の砦であったあっちゃんの姿を見て、ついに諦めるというか、大人になることを受け入れ始めます。大人になったあっちゃんからの「おめでとう」を呪いと感じていた子供っぽい日酔い君から、祝福の言葉として受け入れられる大人の日吉君へと変わっていく、そんなやらしい読切でした。
自分の何かを褒められたり、何かを祝われたり、何かを期待されると、その言葉がすべて未来の自分が果たすべき責任であるように感じられて、圧死しそうになるということ、ポジティブな言葉が脳内デビル機構を通して非常にネガティブな呪いにかわってしまうこと、よくあります。
それに対して何ができるかというと、脳内のデビルコンバータはもはやしっかりと根付いて取り外すことはできないので、変換されたネガティブな感情と上手く付き合っていくしかない。それをやってのけているのが『PACT』のキャラたちと『グッドバイ』の日吉君です。
私もそのようにうまくできればいいのだけれど、難しいですねー
『PACT』も、主人公がヒロインと交わした約束が確実に主人公を修羅の道へと導いてしまっていて、今後彼の行動が正解ばかりを選んでいくようには思えない。もし窒素爆弾をすべて解除しテロリストを撃退することができても、彼の体にはすでに大量の合成ヒロポンが撃ち込まれていて体も脳みそもボロボロです。このままでは彼は確実に破滅します。できればバッドエンドは見たくない。
ナギくんがネガティブ変換された約束をネガティブエネルギーでもって見事達成し、幸せな未来を勝ち取るというエンドでなければ、少し辛いです。
期待をプレッシャーに感じてしまう人間が、プレッシャーに苦しみながら何とか生き延びるという話であってほしい、私自身のセラピー的にこの漫画にはそうあってほしいです。
本来ポジティブな意味を持つような言葉、たとえば期待とか、お褒めの言葉なんかをいただいた時に、何故か脳内で悪いエネルギーに変換されて全く別のエネルギーになって外に出てしまうことが、よくあります。そんな感じのはなしです。
ちょっと前にヤングマガジンで始まった『PACT』という漫画は、突然現れた謎のテロリストによって世界中に仕掛けられた窒素爆弾を処理するため極秘に結成された特殊部隊の戦いを描いた漫画です。物語として非常に緊張感があって絵もきれいでとても面白いなぁと感じるんですが、
それ以上にこの漫画、出てくる登場人物たちがみんな、なにかしらの約束を守ることを至上の目的として行動していて、またそれが彼らの行動選択にあまりいい意味では作用せず、かなり狂った方向に突き進んでいってしまうのが面白いんす。
作中でも「約束は呪いだ」という言葉が出てくるんですが、彼らは未来をポジティブなものにする約束というものに囚われすぎて、今が非常に不幸になっていることにも構わず、また約束だけを達成すれば他はどうなってもいいとでもいうような、恐しく自分本位な行動をとったりするんですよね。面白いっす。
主人公のナギこと荒凪君は窒素爆弾処理の要となる天才理系少女マチの世話役を任されている落ちこぼれで、処理作業の際にも精神的に不安定なマチのサポートのために同行します。
かつて不発弾の暴発事故で妹を失ったナギくんはマチのことを実の妹のように思っており、またマチもナギに絶対的な信頼を置いていて、爆弾処理もナギが平和な世界を生きるためにやっています。
窒素爆弾の設置された無人潜水艦内部には無数のホーミング爆弾がちりばめられており、多数の犠牲を出しながらマチはシステムの解除に成功するのですが、彼女また爆弾から逃れられず命を落としてしまいます。護衛隊の人間が次々に爆弾の餌食となっていく中ナギは恐怖で身動き一つとれず、やっと正気を取り戻した時にはマチはすでに虫の息で、そこで彼はマチから呪いの言葉を受けます。
第一話からこの展開の重さで、衝撃的でした。
切り札的存在だったマチを失った日本政府は彼女が作り上げた爆弾処理システムを活用、爆弾処理訓練学校の生徒の中から特に優秀な人間を抽出し、彼らにそのシステムを学習させ新たに特殊部隊を編成しようとします。
しかしこのシステムは常人では理解するだけでも一か月はかかるほど複雑なもので、それでは次の窒素爆弾爆破のタイムリミットには間に合わない。
それをクリアするために政府側は合成ヒロポンを用意、このヒロポンは服用すれば痛覚や恐怖心がマヒする一方で集中力が研ぎ澄まされ、超効率的に脳を働かせることができるという優れもので、副作用で体がぼろぼろになるという悪魔的なアイテムです。
このヒロポンがまた、ナギの心にかかった呪いにひどく作用するんですよね。
心優しくそれほど優れた才能もなかった平凡な彼が、特殊部隊に入ってマチとの約束を果たすために、何のためらいもなく合成ヒロポンを使うことを決断します。
そしてこの後もナギくんは、爆弾処理班の周りのメンバーすら目的達成のための道具としか見ない程、爆弾処理に対して積極的・盲目的・効率的に全速力で突き進んでいきます。爆弾処理はマチの死、約束を果たせなかったことを思い出させる負のスイッチとしてナギに作用するはずなんですが、その負のエネルギーは彼の脳内で悪魔的に変換されて、エネルギーの大きさそのまま行動力の激しさへとつながっていきます。
困難な状況があればあるほど彼らは不健康なネガティブな思考に陥りながら、半ばランナーズハイ的に限界を突破していくさまがすごく面白くて好きなんす。絶望やら悲しみのようなネガティブな感情がプラスのエネルギーになる脳みそって悪魔的です、デビルマンのようですね
『PACT』という漫画は、人間が悪い方向に積極的というか、自分をより精神的に厳しい状況へと追い込んでいくことで異常な力を発揮するという、非常に不健康な漫画なんですよね。好きです不健康。約束に呪われた人間が狂った方向に闇のエネルギーをぶつけて、結果として状況を打開していくというのが、とても良いです。爽やかじゃない行動力、とてもいいです。
他にも、かつてマチの上司として彼女を爆弾処理の場へと押し出した指揮官・海馬という男がいるんですが
彼もまたナギくんと同じような約束をマチと交わしていて、それが作用してかマチの死後、倫理道徳を完全に無視したえげつない選択を特殊部隊のメンバーに向けて発するようになります
合成ヒロポンの服用を進めたのも彼であり、特殊部隊候補である帽子君に恐ろしい鎌をかけて合成ヒロポンの服用を間接的に強要したり
上司である三船教官に思いを寄せていた帽子くん
こんなことを言われたら強制も糞も無いです。海馬はわかっててこんな言い方をしている、やらしいです。
また海馬の友人である護衛隊長との会話も印象的です。
「約束はもっと明るいものだ」と語る護衛隊長、この人なかなかにポジティブな発想でこの作中唯一まっとうに生きていけそうだと期待していたんですが
会話の最後に大きなミスを犯します。この作品の中で、何かを約束することは非常に危険です。
護衛隊長は爆弾処理中にテロリストにマシンガンで迎撃され、活路を切り開くために水中スキーごと特攻して死んでしまいます。
海馬との会話を思い返し、その約束を証明して見せるために、頭に銃弾を受けながらも生きてテロリストをぶちのめしました。この作品中で何か約束を交わすことは、未来を良いものにするというよりは、未来のために今を犠牲にする呪いなのです。
長くなったので、②に続きます。
私は煙草を吸いません。
いつか自分も吸ってみたいなぁとか、煙草が似合うような人間になりたいなぁとは常々思っていたんですが、中高時代とか高校卒業後とか、イキるのに絶好の機会に煙草に挑戦することができずにそのままズルズルと機を逸し続けて、今に至ります。挑戦しなかった理由は、まず自分に煙草が似合うとは思えなかったこと、憧れはあれど、どうしても煙草を吸いたいという強い衝動がなかったこと、なんかが挙げられます。
特に煙を嫌っているわけでもなく、今でも小学生中学生のころと同じように、煙草に対する子供じみた憧憬を抱いています。煙草が似合う人間を見ると中身関係なしに目を奪われるし、知り合いなら問答無用で好感度が上がります。
そして今日本屋でこんな漫画を見つけてすごくそそられたので、エロ本でも買うような気持ちでソワソワと買ってきたのでした。
「こいつ煙草吸わないくせにアンソロなんて買ってるぜ!助平!!」とか言われないか、店員さんに非喫煙者であることがばれたりしないかと、なぜかソワソワしたのです。そして予想をはるかに超えて良い漫画だったので、なんか書きたくなったので、書くのです。
表紙イラストの奥浩哉・大暮維人両先生もそうなんですが、執筆陣がすげぇ豪華です。漫画にはすぎむらしんいち、ふみふみこ、きらたかし、浅野いにお、太田垣康男、オノナツメ、横槍メンゴ、水薙竜etc.…。イラスト寄稿には大高忍、清原絃、村田雄介、うめ、藤原カムイ、村田蓮爾、めいびいetc.…。
私が名前を知っていた作家さんだけでこんなにいます。
そして巻末の作者コメントを見るかぎり、執筆陣の中にもヘビースモーカー・禁煙中・非喫煙者といろんな人がいて、煙草の持つ魅力をいろんな角度から感じることができる仕様になっています。煙草がヘビースモーカーの精神にもたらす安らぎ、煙草を嫌っている人間の苛立ち、煙草を吸っている人間の魅力、吸い始めの戸惑い、喫煙者に惹かれる人間の心情など、吸う人も吸わない人も余すことなく拾ってくれます。
私は煙草を吸ってる人に惹かれていながら、チキンなあまり一歩踏み出せず非喫煙者に留まるジャリガキです。
そしてこのアンソロジーは私のような微妙な立ち位置の人間の心情もカバーしてくれています。「かっこいい喫煙者」についての話も当然あれば、「喫煙者にあこがれる非喫煙者」の話なんてのもしっかりある、ありがたいです。煙草吸ってる人のカッコ良さも見せてくれるし、喫煙者に憧れるキャラへの共感も得られます。
以下、特に面白いと思った収録作品を挙げてみます。
太田垣康男『ロング・ピース』
造船所から依頼主の基へと処女航海をしていた宇宙船が超新星爆発に巻き込まれて、爆発に伴う特殊光線によってDNAを破壊された船内の乗組員が次々にクリーチャー化、サバイバルを生き抜いて唯一の生き残りとなった主人公。
救助される望みはなく、自らも徐々にクリーチャー化していく中で倉庫の煙草の在庫も切れて絶望する主人公ですが、まだ自分が人間である内に最後の煙草を吸いたいと願い、クリーチャー化の進行に抗いながら正気を保っていきます。
煙草が切れるとソワソワしたり落ち着きがなくなったりする喫煙者の方はよく見ますが、手持ちの煙草が切れたことで理性を失うのを踏みとどまり、結果人間として生きる時間を延長したという皮肉めいた展開が、この話の好きなところです。
死の直前に思い返してもう一度生気を取り戻すほどの存在が、自分には思い当りません。最後の一服とか、そんな言葉にさえ憧れを感じます。この喫煙者さんすごくカッコいい。
②喫煙者にあこがれる、非喫煙者の話
浅野いにお『としのせ』
大学は親の勧めで地元の大学を受験、交際している男子は非常に真面目で「自活できるまで貞操は死守」などという、周囲の人間の合理的で大人気ある言動に退屈さを感じているヒロイン。年の瀬になると現れる胡散臭いアウトロー感を漂わせた叔父に淡い期待を抱いて、性的なポーズで挑発してみるも不発。かつて彼が吸っていた煙草も「彼女に言われてやめた」と言われ心底がっかりした彼女は、大人になれない自分を認めつつせめてもの反抗として、叔父に煙草を吸ってくれとせがむ。
反抗期が緩やかに収まりつつある時期に、大人へと成熟することへのためらいと反抗の名残がせめぎ合い、ささやかに背伸びして背徳感を味わおうとするヒロインの心情がかなりグサリと来ました。社会・性・煙草という三つの要素が青年期の不安定な精神を惑わせる感じ、グサリと来ました。
ふみふみこ『金色の飴 星の煙』
若い叔父(23歳)に恋心を抱く小6のヒロイン、クラスの男子なんかとは違う大人の世界に入り込んでいるのだと自信を持っていた彼女は、叔父の煙草をいたずらに吸ってみたところ「ふしぎのメルモ」風に大人の体に変身してしまう。
子供っぽい味付けのご飯を嫌がり、大人っぽい叔父とのつながりである煙草を吸うことで、大人の世界に帰ろうとするヒロイン。何故かこの煙草を吸うと、彼女はボインと成長した大人の女性の姿に変身します。
「大人の体を叔父に見せればもっと愛情を注いでもらえるはず」と喜んでその姿を見せに行くヒロインであったが、女性への免疫がないためにヒロインに近づいていたロリコン叔父は見知らぬ成人女性が自室に忍び込んできたことに恐怖し、錯乱して彼女を「悪魔だ!」とそしる。
ヒロインが叔父に投影していた大人像は大きく崩れ、自身もまだまだ大人のことなどよくわからない子供であるということに気づきます。
それでもなお残る大人への憧れは、たまに煙草を吸って大人の姿になり男を誘惑する行為に表れるようになる。
この話は先ほどの浅野いにお先生の話に少し似ているんですが、二人のヒロインの思う「大人像」が少し違っていますね。
『としのせ』では世相に上手く従って生きる大人への反発が、ヒロインの反社会的なものへの憧れを誘発し、その象徴として煙草が充てられていました。叔父は大人のなかでも退屈でない、最後の希望だったのかもしれません。大人は世相に従う、退屈な存在です。
一方『金色の飴 星の煙』は小学六年生から見上げた漠然とした大人の世界の中で、ヒロインにとって最もわかりやすく大人を想起させるものとして煙草が登場しました。そこに社会への反抗心や背徳感はなく、精神年齢の高いものに対する純粋なる憧れの結果、喫煙という行為に至っています。大人は子供より上にある、格の高い存在です。
私の中学~高校時代には上の二つのような感情は、あまりなかったです。
まぁ私は男で上の二つはおなごの話なのでそもそも大分違うんだと思いますが、「煙草は20歳になってから吸うものだ」とかガチガチに考えていた自分はむしろ不健全だったように思います。
この他の作品もまた、とても良い形で煙草が登場する良い話ばかりでした。
goodアフタヌーンで連載中の水薙竜『ウィッチクラフトワークス』の煙草にまつわる番外編も収録されています。びっくりしました。
嫌煙の風潮強まる昨今、喫煙を推奨するでもなく様々エンターテイメント作品に登場する煙草の魅力を再確認させる、面白いアンソロジー本だったなぁと思います。
この本を読んで煙草が吸いたくなったかというと、まぁそうでもないんですが、喫煙者、煙草の似合う人に対する憧れは一層強くなりました。
いつ煙草吸い始めても恥をかかないように、煙草の似合いそうな人間になることを、まず目標にしようと思います。
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