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魍魎拳

漫画の感想の置き場

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とある魔術と気功拳①

フィクションの世界にどっぷり浸かってるせいか、魔術と科学の境界がよくわからなくなることがあります。


魔術はオカルトな存在(悪魔・精霊など)と密接な関係にあって、伝統的な儀式や契約、略式の呪文によってそれらの高次な存在の力を借りる術、という認識です。時代や宗教体系や信仰の対象が変わると仙術・方術・呪術など、術の効果も変わると。


『スレイヤーズ』の魔法体系はまさにそんな感じで、ヒロインのリナ・インバースが使う黒魔法は冥王や覇王などの上級魔族の力を借りるもの。アメリアやゼルガディスが使う精霊魔法はアストラル・サイド(精霊)の力を借りるもので、魔道士の強さの基準は魔力容量と召喚技術に左右される、という魔法観です。
黒魔法は火の玉を飛ばしたり大爆発を起こしたり、精霊魔法は傷を直したり空を飛んだり呪われた存在を浄化したり、およそ人知を越えた力として描かれます。


科学の発展していない時代からこういった非実在能力が登場し始めたのは、人々の需要に技術が追い付いていなかったからだと思うんす。宗教の流行と同じで「どんな怪我でも治せる力があれば…」とか「土を金に変える力があれば…」という実現し得ない願望が、怪しげな術の進行に繋がったんだろうなと。




一方科学は物理・化学・情報技術など最先端技術の総称で、すべての人類が共有する事ができる一方悪用の可能性も無限大、みたいな感じかなって。というか、かつて魔術と呼ばれていたような超自然的な力を実現する技術、っていうイメージがあります。レーザーとか火炎放射とかユビキタスとか



魔術にしても、科学にしても「こんなすごい現象を人間の力で引き起こすことができたらなぁ」っていう願望がもとになって生まれてきた、進歩してきたものなんすよね、たぶん。


『鉄鍋のジャン』って漫画がありまして、SFでもファンタジーでもなく料理漫画なんですけど、そこにこんな料理が出てきます。


秋山式・サンゲタンとは





食べた人間はこうなる悪魔的な料理。


この世にある真っ当な食材をブレンドして人間の神経を操るこの力は、でかい鍋をグツグツ煮込んでる魔法使いのイメージに何か似ていて、この場合の主人公の料理の力は魔術なのか?科学の力なのか?っていうか呪術では?迷います。

まあ、呪術の領域を薬学と生物学の力で解明した、って解釈が妥当なんじゃないかと思います。




こんな風に、フィクションの世界にはかつて魔術と呼ばれていた能力を技術と知識(=科学)で実現してしまっているものが結構あって、科学が発展した近未来SFでもなくファンタジーでもなく、現実世界にも起こりうる超科学を描いた話に出会うことがよくあるんす。


そしてそれは、魔術VS科学という構図で語られることも多いです。



『魔人探偵脳噛ネウロ』に出てくる敵キャラたちは肉体の構造は人間と同じなんだけど、卓越した知恵と技術で魔界の住人ネウロを苦しめました。

アヤ・エイジアは歌で人間の脳に働きかけ自在に操る技術

電人H∧Lは電子ドラッグをばらまいて人々を犯罪に走らせる技術

テラは地学を極めて地盤沈下を引き起こし、DRは治水の技術をいかして都心を水没させようとしました。

特に火を操る犯罪者・葛西善次郎は、マジックに似た巧妙なトリックを使って、さながら魔法のような現象を引き起こします。


人体発火能力ではなく、あくまでトリック


魔人・島耕作

それでもやはり彼らは科学的に解明された技術だけで、魔術を操るネウロに真っ向勝負を挑んでいます。



魔人(オカルト的な存在)
――――VS――――
人間、科学with悪意


高次元な存在であるネウロを、人間が精一杯の進化で追い詰めるっていう流れがとても面白くて好きです。




『スプリガン』
世界中で発掘されるオーパーツやオーバーテクノロジーを軍事利用される前に封印破壊するエージェント、御美苗優の話。
彼の武器は、発掘された古代技術と最先端科学を融合して生まれたアーマードマッスルスーツ




この漫画、魔術・呪術・風水・陰陽道・獣人・超能力・インダス文明など、古今東西あらゆるオカルトパワー体系が肯定されていて、それ駆使する敵を主人公が体術と科学の力でぶっ倒します。



実体化した怨霊なんてものも出ます




「現実世界でこんな話が起きるわけない!近未来SFだ!」とも思うんですが、 陰陽道の使い手であるティア・フラットが印象的な台詞をのべているんす。




神や精霊、果ては宇宙人まで出てくるフリーダムさはありますが、この漫画の世界では魔法と魔術(神・精霊・悪魔)は切り離されて考えられています。
様式や理論体系はあるものの、神や精霊の力を借りる超自然の力ではなく、あくまで自然の法則に則った力として魔法が存在しています。



『スプリガン』の魔法は科学のずっと先を行く超能力として描かれていて、科学はいつかそれに追い付く技術いう位置付けなんすね。そしてそれはスピリチュアルな力を借りる魔術とは対となる存在です。


(超能力>)科学
――――VS――――
オカルト的な存在>>魔術


どちらに属するともいえない古代文明オーパーツを奪い合って、二者が戦ってる、って構図。



『とある魔術の禁書目録』でもこれと似たような対立が起きていて、科学サイドは人間の脳を改造して超能力を引き出すことに成功し、宗教的な様式と儀礼をなぞることでオカルトな力を操ることができる魔術サイドと戦っています。

脳をどういじくればどんな能力が引き出せるのかも、電磁砲やら悪魔払いやらの能力が発動するシステムもある程度解明されていて、『スプリガン』より科学が一歩も二歩も進んだ世界って感じがします。


ただ科学とオカルト魔術は決定的に相容れない存在で、科学が超能力を開発することはあれど魔術のメカニズムを解明することはなさそうです。序盤しか読んでないんでちょっと情報曖昧です。


―――


とりあえず今まで読んできたフィクションからの情報に頼ると、科学は物理法則に従って進化を重ね、かつて不可能と思われていたことを可能にするが、超自然オカルトの力を借りる魔術を解明することはない、ということがわかりました。

雑にいうと科学の領域に無いものはオカルトって感じですね。


――――――――――――――――

何当然のことを長々と…と思われるかもしれないんですが、私が科学と魔術の領域にこだわるのには人類学的中二的興味だけじゃなく、他にも理由がありまして

「拳法」ってどっちの部類に入るんだろうなぁって、ずっと不思議に思ってたからなんすね。

合理的で効率的な動きを極めるために研究し尽くされたその技術は科学的ともとれるし、中国拳法の多くは道教とか陰陽五行説の教えを軸に構築されててかなりオカルトめいてる部分もあるし…凄く曖昧な存在なんです。


割と身近にあって、超能力的なものに最も近いと思われる「拳法」


後半でその辺、うだうだ考えます。

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便所だけど愛さえあれば読んでも良いよね



人はどんなタイミングで漫画を読むんでしょうね。


私は人より漫画が好き方なので、暇さえあればごそごそ読んでしまうのですが、普通は1~2時間まとまった暇ができたときに読むものだと思うんですが、どうでしょう。


漫画って読むの時間かかりますよね。巻数が10を超えると読み終えるのに4~5時間はかかるし、ストーリーものだと話の区切りがつくのに10話以上いくことがままあるし、時間を区切って読むのもなかなか難しい。仕事やら家事やら人付き合いやら、なにかと忙しい現代人のなかには、そんな理由で漫画を読まなくなる人もいるんじゃないかなと思います。


一日中漫画読んでる暇人な私にも、「うまく時間の区切りがつかなくて、漫画が読みにくい…」なんて感じるときがあります。




それはトイレです。


トイレの時間だけは、時間の区切りというものがどうもつけにくい。せいぜい五分、いって十分の滞在時間ではあるものの、やっぱりその間手持ち無沙汰でなにか読み物がほしくなるんですが、ストーリーものだとうまく読みきれなくて時間が足りないんですよね。結果、用を足したあと便座の上で区切りのつくまで読み通してしまったりするんす。


でも、ストーリーものを読むならちゃんと世界に入り込みたいし、ケツから排便しながらダークファンタジーとか読んでも、なんか締まらないですよね。


そもそも、なにも無理してストーリーものを読む必要はなくて、時間がないときには時間がなくても読めるものを読めば良いんす。



そういうときにぴったりな、短時間でさらっと読めて区切りのつけやすい、忙しい人にも読みやすい一話完結系の漫画の話がしたいんす。
どんな雑誌にも1つはある「一話完結(前後編程度)」「インパクト重視」な、娯楽性の高い作品たち。


よくありますよね、一話完結のショートストーリーを何年も連載していて、単純な設定さえ覚えておけばどの話・どの巻から入っても読めてしまう漫画、『こち亀』『ゴルゴ13』『浦安鉄筋家族』『クッキングパパ』『稲中』などがそれに当たります。
こういった漫画は各雑誌に鎮座し、来るもの拒まず去るもの追わず、いつよんでも変わらぬインパクトで読者を受け入れてくれる素敵な存在です。
ラーメン屋にある漫画はすべからくこの部類ですね。



で、やはり私の家にもこれと同じ部類の「便所漫画 」と呼ばれる漫画軍が存在します。さらっと読める、話が短い、なによりちゃんと面白い漫画たちです。
ただ便所で読んでも大丈夫なくらいなので、作品の内容もどこかスレたものが多いです。



①『マーダーライセンス牙』平松伸二

花びら大回転の予感!?

!?




という漫画です。



スイミング・インストラクターをしている木葉優児

彼が全裸で向かう先には…



謎の全裸ナイスミドルが三人

なんと彼らは内閣総理大臣とその側近。彼らは法で裁くことのできない巨悪を抹殺する指令を優児に出します。

実は優児は国家から殺人許可証を受けた暗殺者だったのだ、という話なんすね。木葉一族は暗殺術を極めた忍者の一族で、現頭主の優児はその辺の傭兵やスナイパーを赤子扱いしてしまうほどの強さ。
テロリスト、マフィア、悪徳外交官、マッドサイエンティストまで何でも殺ります。
最初の画像で木葉流マッスルコントロールに騙された男もしっかり殺されます。

インパクトの強さ申し分なし。ストーリーは2~3話で完結するものがほとんどで、さくっと読めます。


ちなみに彼らが全裸なのは、国家の代表たる内閣総理大臣が殺人という禁じられた依頼をするのは本当に信頼がおける人物のみであり、無防備な姿をさらすことでその信頼を示すため、らしい。

他に方法ないのかよとか突っ込んではいけない。

とりあえずこの設定さえおさえておけばどの話を読んでも大丈夫

指令を受ける→殺す
という単純な構造の話が大体前後編2話で、10分もあれば読めます。


②『スーパードクターK』真船一雄
『ブラック・ジャック』+『北斗の拳』という異種配合を実現した漫画です。


患者第一の心優しい医者。彼の一族は代々秘伝の医術を学び国のため、人々のためにその力を発揮してきた医者の家系で、Kはその末裔。悪をくじき、弱気を助ける義の男です。








医者としての腕前は超一流、外科内科、動物もカバーしてます



このあとKは傭兵たちとともに東南アジアのゲリラ戦に参加。

医療ものとは思えない力強い扉絵



ちなみにKには「KEI(ケイ)」って名前の妹がいるんだけど、なぜそんなややこしい名前にしたのかは不明。

医療ものとしても十分面白いんですが、医者なのにムッキムキでTシャツ皮パンにマント姿のKが、いろんなとこでバイオレンスな揉め事に巻き込まれるのが面白くて仕方ない。

この作品はその後『ドクターK』と名を変え、現在はイブニングに移って『K2』として今も連載が続いています。

発病→治療を困難にする問題発生→知恵と筋肉で解決、という流れで、これも10分程度で読めます。


③『でろでろ』押切蓮介

シスコン中学生の日野くんがしょうもないお化けをどつき回す話。

妹を怒らせた時の日野くん


この漫画と便所のシンクロ率は他の追随を許さない、相当なものです。

話の構造には
お化けだ!殺せ!

お化けだ!友達になろう!
の2パターンがありますが、どちらも1話2~3分で読めてしまいます。

④『SF大将』とり・みき

ナンセンスSFのニヒルさ、とり・みき先生のゆるさは排便行為の心境とかなりシンクロします。
むしろ読んでるとトイレに行きたくなります。



⑤『帰らざる時の物語』松本零士
短編になると非常にお下劣になる松本零士先生。

叩けば何でも固くなる

ベチーン

ハーハー!!

くだらなさが素敵です。トイレによくあいます。

そのほか『おせん』や『GS美神』、『黄昏流星群』などが私の便所の供になることが多いです。


――――――――――――――――


周囲の知人から話を聞くに、やはり「便所漫画」というジャンルは存在します。

「便所漫画」に『クレヨンしんちゃん』が入ってる家は結構多いですが、『るくるく』を入れている人もいれば『脳みそぷるん』だったり『ハッピーピープル』だったり。

みんな「これは軽いノリで、何回でもさらっと読めるもの」って心のなかで決めてるものがあって、ふとした時間に繰り返し読んでいるがゆえに心の深いところにまで染み込んでアイデンティティの一部になってたりするんですね。


それは自分にとって「一番好きな漫画」にはならないかもしれないけど、何度も読んだ「思い入れのある漫画」になるはずで、そういう作品が一人一つぐらいあっても良いんじゃない、って思うんすね。


便所で漫画読むの、おすすめですよ。



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正気でいられるなんて運がイイゼ

夏だ!
お盆だ!
終戦だ!!


お盆は死んでいった人間の魂が現世に戻ってくるスピリチュアルなOB会みたいなものですが、私は未だ幽霊なるものをこの目で観たことがありません。そして「幽霊を見た!触った!」と言う人も見たことがありません。本当にいんのかよ?と疑ってしまうこともあります。


霊の話になると「幽霊を信じるか、否か?」っていう質問を投げ掛けてくる人がいますが、でもそれはあまり本質的な議題ではないんじゃないか?なんて思うんす。


「幽霊を信じるor信じない」って大して問題ではなくて、重要なのは「実際に幽霊的な物に遭遇したときにビビるorビビらない」だと思うんですよ。「不可解なものを恐れるか、否か」ってことこそが、幽霊いるいない問題の肝だと思うんす。


幽霊が目の前にズドンと現れてしまったら、そいつが幽霊を信じていようがいまいが関係なし、結局ビビってしまう奴とビビらず対処する奴の二択になるはずなんですよ。
ビビらず立ち向かう浦飯幽介になれれるか、ビビって逃げるプーアルになるか。


ホラー映画で「怖がることはないさ、風で窓が空いただけだよ」なんて言いながらタフガイを演じる青年は大概真っ先に化物に遭遇してビビってるうちに殺されるし、本当は不可解なものを恐れる心を持っているのにそれを隠し否定する人間は、結局それを暴かれて死ぬんす。


子供であろうと大人であろうと不明瞭で予測不可能な闇領域に感じる不安は解消し得ない感情であって、頭のなかで本能的に抹消された不安が眼前に叩きつけられることを、人は嫌がる、恐がるはずなんす。


それこそが「幽霊を信じるか?」という問いの先にある、真に懸念されるべき喫緊の問題…な気がしてます。


――――――――――――――――

ちなみに、もし眼前に幽霊が現れたら、私はきっと全力でビビります。
でも私は幽霊はいると信じています。ホラー映画は好きですがお化け屋敷は超苦手、幽霊を信じ憧れつつ死ぬほど恐れています。好きと恐いは同居します。
実際に出会うのは御免ですがフィクションの世界を通じてそれを見るのは好きで、やはり恐ろしい幽霊や妖怪が出る漫画を好んで読みます。




私がフィクションの幽霊・妖怪の類いを見るときに気にするポイントは主に2つ、

①バックボーン
②存在目的

です。



①バックボーン
なぜバケモノがこの世に生まれてきたのかというバックボーンの有無がかなり重要なポイントです。発生過程が明かされると、奴等のなかの不可解だった領域が幾分解消され理解しうるものとなり、恐怖ではなく理性でとらえることができるようになります。またそのバックボーンには化物退治のヒントが多分に含まれているため、解決の糸口が見える安心感を読者にもたらします。


例えば「ムヒョとロージーの魔法律相談所」に登場する悪霊は人間由来のものが多く、その怨み心残りを解説するためにしばしば生前の回想が挟まれます。





そして単なる幽霊退治にとどまらない魂の救済を達成し、ひとつの話が終わる、という型をとっています。哀しいけど良い話。



最近やたら涙もろくてムヒョロジは読んでて辛いです。


創作物に登場するあやかし化け物達は、その邪悪な性質ゆえにバックグラウンドから発生過程の注釈をつけられることが多く、社会悪が産み出した産物として間接的に世間の無情を批判する風刺物となるのが定石です。
化物の過去を知ることで感情移入の余地が生まれるしはっきりとした異物感は薄れていき、読者としてめ恐怖を緩和することができるので、有難い演出でもあるんすね。


②目的
一方、この世ならざるものがわざわざ現世に残っているからには、存在理由や目的が彼らにはあります。

書かせろぉぉぉぇ

「タケヲちゃん物怪録」
モンスターズ・インクみたいなノリ


人を驚かせると出てくる「陰の気」を食う妖怪たちのお話
取り敢えず命の危険はないことがわかります。


「鬼斬丸」

この少年、こんなこと言ってますが、本当は鬼を斬り尽くして人間になることを目指す鬼の一種です。
見方かどうかはよくわからんが、とにかく鬼を退治してくれる存在らしい、ということがわかります。


他の鬼は人を喰うために恩を売ったりいじめられっ子に取り入ったり、あの手この手で近づいてきます。こいつらは敵だとわかります。



まぁ怨恨とか嫌がらせとか人が発する邪気を喰うとか、この辺わりとパターンが決まってて、異形のものの存在理由は暗黙の了解として語られないこともあります。が、化物たちの目的は「人間に害をなすこと」であることが多く、被害を受ける人間としては化物たちの目的はとても気になる事柄なのです。


超次元のものに納得のいく解説を加え、理解可能な同次元のものに落とし込み、退治する。これにより恐怖を解消、平穏な日常を勝ち取り、安堵を得る。

読み終えたあとにはほんの少しの恐怖が残るばかりで、そのわずかな恐怖も「取り敢えずこの悪霊はムヒョが退治してくれたから私のもとに現れることはない、大丈夫だ…」と考えることで解消されます。弱点も素性も割れてるし、自分でも対処できそうな気もします。


私が幽霊・妖怪退治ものを読むのは、この安堵を得るためだと思うんですよね。


これは、人が悲劇や残酷なニュースを好むことにも似ています。
平穏な日常、生の素晴らしさを実感するために死の話を読み聞きする…
恐怖が自分に及ぶことがないと安心するために、フィクションの化物を視聴するんす。


すげぇ話が右往左往しましたが、①バックボーンと②目的が明かされた幽霊・妖怪って、人間臭くてあんまり怖くないよね、ってことが言いたかったんです。


でも、私が恐がっている幽霊・妖怪ってバックボーンも存在目的もわからない謎の化物のはずで、退治ものの漫画にはそういう得体の知れなさがなくてちょっと違うなぁなんて感じるんです。


「幽霊妖怪退治もの」と「恐怖もの」は違うな、と



「魔法少女オブジエンド」




こ、恐…大丈夫、こいつらは現実世界にはいないから大丈夫…!私は今安全!!



いややっぱ恐い…だってこいつらの素性も目的もさっぱりわからないんだもの


――――――――――――――――


私が幽霊・妖怪に求めるものは安堵だけではなく、やはり救いようのない恐怖を感じたいがためにそれを読むこともあるんす。というかそっちの方が欲しいときがあるんすよね。
そしてそれは「幽霊」「妖怪」ではなく、名前がつけられる前の段階の、「得体の知れない不安」であったりします。


少年チャンピオンの「不安の種」は、日常生活で人間が感じるふとした不安やざわつきをテーマにした漫画で、数々の形容しがたい何かが登場します。





この漫画は日常のささいな恐怖を抉り出すことをテーマとしていて「日常に潜む戦慄」みたいな宣伝をされることが多いんですが、この漫画の恐さの理由だけではなくてですね



注目すべき点は、これらの得体の知れない異形なもの達との遭遇が描かれるのみで不安の解消がなされないこと、そして一切の解説もされないことです。


なぜ彼らが存在するのか、何が目的なのか、このあと人間はどうなってしまうのか、ほとんど描かれることがありません。なので、一話読み終えても恐怖が消えずに現実世界にしっかり引き継がれます。

「いったいこいつら何者なんだ?」という恐怖、「こいつら誰にも退治されてないし私のもとにも来るかもしれない…」という恐怖


「不安の種」は人間が感じる恐怖や心のざわつきを「幽霊」「妖怪」などとジャンル分けすることなく、ただただ恐いものとして描いているところが、肝だと思うんすね。


洗面所で顔を洗いながら「ふと目を開けたら目の前に化物がいたりしないだろうか…」と感じたりしますよね。それは「霊」とか「妖怪」とかじゃなく「不安」という感情でしかなくて、それこそが私が恐怖を感じる対象なんだなぁって思うんすよ。


心霊写真も、なにも語りかけてこないし説明もできない不可解さが恐いんだと。

――――――――――――――――


まぁでもやっぱり、幽霊やら妖怪やらには出てきて欲しくないし、出来ればその素性や目的を理解していたいし、あわよくば退治されていて欲しいと思います。

漫画に出てくるような化物達を前にして正気でいられる主人公達を羨ましく思うし、彼らと同じ立場で化物達と対峙できることは幸せだなぁなんて感じてます。

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「ローン・レンジャー」を観てきたよ

「ローン・レンジャー」を観てきました。

西部開拓、先住民と大陸横断鉄道とまさに王道アメリカ映画といった感じですが、ひょうきんでコミカルなキャラクターと巧妙な場面転換、入り組んだバトル展開、王道の楽しさを極限まで高めたような、とても良いエンターテイメント作品でした。

まぁ原作との比較とか、作品内の法と倫理観と市民統治二論に関する考証とかは置いといて、個人的見所の義足ビッチ姉さんについて


19世紀末、西部で建設が進められている大陸横断鉄道、その最前線で線路の敷設作業に関わる作業員とその駐屯地…肉体労働に携わる野郎が集まる土地には当然、歓楽事業がついてきます。


物語中盤から出てくる仕込み義足の姐さんは「ダンス酒場」を女手で取り仕切るやり手。踊り子がステージやフロアを舞い、客は気に入った女性を見つけては金を払って致すという、グレーな水商売のお店を経営しています。

グラマラスな肢体に燃えるような赤毛、源氏名か本名か彼女は「レッド」と呼ばれています。

かつては踊り子として名を馳せていたらしいが、とある無法者の手にかかり片足を失った過去を持ってます。その無法者がローンレンジャーとトントの共通の仇だったりして何かと協力してくれるんですが、そんな事よりこの義足ですよね。


曰く象牙でできた雅なデザインの義足は大腿部から右足まるごとのサイズで膝関節も付いており、極めて生身に近い外観をしています。その美しさはトントが触りたくなるほど、堅物の騎士団大尉殿もムッツリ心を駆り立てられるほど。


そしてなにより義足に仕込まれた、このギミック

予告編
1分10秒~


超かっこいいじゃないですか。まさか19世紀後半にこんな技術があろうとは、004もビックリですな。もう時代考証とかどうでもよくなってきますね。


二時間半の内ここ含め2回、10分ぐらいしか出てこないんですけど、このビッチ姐さん見れただけでこの映画観た価値あったなぁって思います。



「かたわビッチ姐さん」って、もう言葉だけでも凄い力強さがありますよね。生まれや育ちの不遇と正面からぶつかって生き延びている生命力の塊みたいな人間だと思うんす。
現実に水商売に携わる女性を見かけると早歩きで逃げてしまう私ですが、物語に出てくるビッチ姐さんにはガッツリひかれてしまいます。


特に、かたわビッチ姐さんってこともそうなんですが、「ローン・レンジャー」のレッドと「EDEN」のヘレナ・モントーヤはとても似ているというか重なる部分が多くて、映画を観ながら「EDEN」の方を思い出して泣きそうになったりしてました。




「EDEN」はサイボーグ技術の発展した近未来を舞台にしたSFノワール漫画なんですが、ヘレナ・モントーヤは南米で軍人相手に流しの水商売をしていて、その後都市部で売春宿に入り身寄りのないやつやら訳ありの娘の世話をしたりする姉御気質のビッチさんです。

気性は荒いが情に厚いという素敵な王道姉御なんですが、麻薬組織と暴力団の揉め事に巻き込まれた売春婦を助けようとした事で暴力団から目をつけられ、リンチに遭い片眼・片耳を失います。


しかしそれでも商売は辞めずに現役で働き続け、常連客に見初められ結婚するという、まぁ力強い女性キャラクターです。


映画とは全く関係ないんですが、水商売、姉御、仕込み義足という美味しい要素満載のキャラクターを眼前にして色々と思い出したりその魅力を再確認したりしました。


――――――――――――――――



ところで、西部劇ってコルセット姿の女性が貧富問わず結構出てくるんですが、大概おっぱいがすごいことになってますよね。漫画かアニメかみたいな勢いで、まるで宙に浮いてるかのごとく服からはみ出してます。調べてみたらwikipediaにこんなことが書いてありました。

―以下―

胸部下部よりウェストにかけてのラインを補正する役割を持ち、ヒップの豊かさの強調と対比的に、胴の部分を細く見せた。

17世紀、女性の服装は胸を強調するようになり、コルセットで胸を押し上げるように変化していった。

19世紀には、ブルジョア階級や労働者階級の女性もファッションに関心をもつようになり、コル セットを着用するようになった。

――――――――――――――――

私のコルセットの理解は第一段まで、腰を細く見せるために肺から空気をすべて吐き出してまで侍女数人がかりで締め上げるコルセット

19世紀以降のアメリカでは寄せて上げるアイテムに変容してたんですねぇ。


――――――――――――――
(欄外)
ジョニーデップの西部劇って「デッドマン」でもやってるんですよね。



「パーマネント・バケーション」とか「ストレンジャー・ザン・パラダイス」とかのジム・ジャームッシュが監督した映画です。

「ローン・レンジャー」が地方検事とインディアンのコンビなのに対して 、「デッドマン」は工場経理とインディアン。似てますね。


無実の罪(売春婦と情夫の殺害、ここでもコルセットビッチ姐さん)に問われ賞金首となったジョニーデップが、半死半生の傷を負いながら名も無きインディアンと共に追っ手から逃げる逃走劇。物語中盤からはジョニーデップの容態が悪くなり死んでるのか生きてるのかもわからない朦朧とした意識の中、魂の救済にまつわる話が進められるスピリチュアル・サイケ西部劇です。

そういや主人公がインディアン風のフェイス・ペイントするところも一緒すなぁ。

BGMがニール・ヤングのギター演奏、何故かイギー・ポップが薄汚い追い剥ぎ役で登場するという、アメリカンロック好きにとっても嬉しい演出があります。


――――――――――――

余計な話を色々と挟みましたが、とにかく「ローン・レンジャー」は面白かったです。「パイレーツ・オブ・カリビアン」と「ダイ・ハード」を一緒に観たような満足感でした。

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食べる音

吉野家で牛丼をたべる方法は人それぞれ、汁だく玉クチャラーもいればスロー再生並の爺もいる。
故に「吉野家の牛丼をたべる音」をテンプレ化することは不可能…そんな感じの話です。

――――――――――――――――


物を食べるときには何かしら音が出ますね。その音は食べ物の食感や人が食べる勢いなんかを表し、それがどれだけ美味いか不味いかを擬似的に聴覚で表してくれるわけです。

文字媒体に出てくる食べる音っていくつかパターンが決まってて、手塚治虫先生の表現を借りると大体「バリバリモグモグガツガツムシャムシャ」って感じのテンプレが使われてます。

でも実際は何千何万種類とある食べ物、食器、食べ方の組み合わせはそれこそ無限大で、上に記されたテンプレートの枠には納まらない音がたくさんあるはずなんですよね。たとえば汁物を金属製の食器で歯の半分抜けた老人がすする音って「ズズズッ」だけではないと思うんす。


そんな事を考えてると、まぁこれは食べるときの音に限らないんですが、ちょっと捻った擬音に出会うと嬉しくなってしまうんですね。またちょっと捻った擬音って、音の質をよく観察した上での表現なのでテンプレ化した文字音より遥かに深く脳に響いてくるんす。「このシチュエーション、この食べ物にはこの音しかないな!」って思える表現に出会えると最高です。

例えば
福満しげゆき先生
妻があんパンを食べる音


もっもっもっ


富沢ひとし先生
小学生が口から卵を産みかける音

アポコ





そして、要はこの人の漫画の話がしたかったんですが

擬音の宝島、福島聡先生の「機動旅団八福神」より

食べる音に時間の流れを感じるというか、咀嚼が進行してる事がよくわかる擬音を使ってます。

バナナ

もまもま

バナナ潰れる


カレー


カツォゥカツォカッ

ベトナム料理

グッパグッパ

とれたて鮮魚


「機動旅団八福神」はSF自衛隊ものなんですが、やたらと飯を喰うシーンが出てきます。


(欄外)
福島聡「少年少女」より
下半身裸で走る男児

タペタペタペタペタペ



「何か物を食べている」という状況を記号的に表すのではなく、そこにあるものを口にいれ噛み咀嚼し時にむせるという光景を生々しく描くことで、登場人物が好き嫌いや食べ方のポリシーを持った、生きた人間なのだということを読者に実感させることができるのだと思います。


ソースのかかったハンバーグが鉄板の上でジュワァァァと美味しそうな音を立てているのに、食べる音が「パクっ」なんて拍子抜けな表現ですげぇがっかりすることとかよくあるんすよ。


「パクっ」でも間違いではないんだけど、「パァッ」の方が「大きく口を開いて食べる人間なんだな」ってことを伝える事ができて音の持つ効力を存分に使えてる感じがするし、噛みついた時にもっと肉汁感ある音がついてきてたりしたら、読んでて楽しくなってくるはずなんすよね。

ミカンで言うならこんな感じ

美味しい音はこっちではなく


こっちのはずで


グルメ漫画の「喰(はむ)」は、ものを食べる時の音をタイトルに絡めて「はむ」って表現に統一してるっぽいんだけど

それは私にとっては非常に辛いもので、他のグルメ系の漫画も味や調理法の説明に比重をおいて音が軽んじられているものが多いように思うので、もっと聴覚に訴えかけてくる漫画が増えればいいのにな、なんて思ってます。

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